パリのアメリカ人



 冷たい澄んだ空気に、オレンジ色の街の灯りがほんわりと浮かぶ。
 1月も上旬となってクリスマスの浮わついた雰囲気も一段落したものの、街は冬のイルミネーションに瞬いている。通りに並ぶ店々のショウウィンドウもきらきらと輝いて。カフェ、雑貨屋、パティスリー、ブーランジェリーにブティック・・・。この界隈は芸術家やデザイナーが多く住む地区らしくハイセンスな店が並んでいる。そんな街の宵をそぞろ歩くのは心がうきうきするものだ。パリの冬の風物詩ともいえる、屋台の焼き栗を頬ばりながらレイフロは上機嫌である。
 南の方角から、ノートルダム大聖堂の鐘の音が風に乗って聞こえてきた。幾重にも重なる鐘のメロディ。
「ノートルダムの鐘の音が」
 チャーリーが神聖な音を聞き逃すまいと、手を止めた。
「はは、すっかり観光客だな。教会の鐘の音なんて聞き飽きてるだろ?」
「・・・・・・」
 音が聞こえなくなるまでじっと耳を傾けていたチャーリーは、歩きながら手仕事を再開させた。栗の皮むきだ。
「なんとでも言ってください。私たちは観光客でしょう? それにあの荘厳な音、心が安らぎます。美しいものを愛でるのは人の本能では?」
「え〜、鐘の音なんて俺は背筋がぞくぞくするね。安らがせたかったら・・・チェリー、腕を貸せっ!」
 並んで歩いているチャーリーの腕にしがみついて肩に頬をすり付ける。かさかさと衣ずれの音とチャーリーの匂い、体温に、あ〜安らぐぅ、と落ち着かせてもらえるはずもなく。
「ちょっと、誰のために皮を剥いていると思ってるんですか」
 と振り払われて、ちぇーっと口を尖らせる。
 それでもチャーリーは剥けた栗を口に放り込んでくれる。この栗だって最初は自分で剥こうと試みたのだが、不器用なレイフロのこと。どうしたわけか滑ったりぽろぽろと落としたりで「全然食べられない!」と癇癪を起した末に、あきれてチャーリーが皮を剥く今に至っているのだ。そして、皮も剥けないのに買ったりしないでください、と、小言を言いながらもせっせと手仕事を続けてしまうのがチャーリーだ。手ずから食べさせてもらって、口をもぐもぐさせるレイフロの表情は幸せに浸かりきって蕩けるほど。
 レイフロのにやついた顔を見ていると、自分まで顔が緩んでしまいそうで。照れ隠しのようにチャーリーはかぶったキャップを目深に下ろした。
 そう。今日のチャーリーは野球キャップをかぶっている。代わりにいつもの伊達眼鏡はなしだ。更に服装はといえば、長袖の黒っぽいラグランシャツにゆるめのベージュのカーゴパンツを履いている。腰には紫と黄色を基調としたネルシャツを巻いて、上着には渋い色味のゴールドのダウンジャケット。足元はスニーカーだ。いかにもステレオタイプなアメリカの若者の格好。普段のチャーリーなら絶対にしない服装だ。
「それにしても、このような服装の必要があるのでしょうか」
 落ち着かない素振りで、チャーリーは今日何度目かになる問いをレイフロに投げかけた。
「もちろん! だってクリストファー・J・ゴスは顔が割れ過ぎててゆっくり二人っきりの時間が過ごせないじゃないか! いつものファッションなんて論外だね。変装は必要だ!!」
 上機嫌なレイフロは、手にした携帯電話のカメラですかさずカシャリ。力説するこちらも普段と異なる装いをしている。ローゲージのタートルネックセーターは深いワインレッドで、ボトムスはチャーリーと色違いのダメージ加工の施された黒いカーゴパンツ。裾はゴツいワークブーツに入れている。腕にじゃらつくブレスレットや指にいくつも嵌まる指輪は、銀ではなくてステンレス製。そして一見不似合いな、肩に巻き付けられたたっぷりとした豪奢な毛皮のストールはフォックス製、に見えるが、すべてはレイフロの「自前」である。カジュアルに高級素材のミックスコーディネイトはレイフロの得意とするところなのだ。
 またチャーリーがレイフロの口に栗を放り込んだ。
「ところで、あなたの行きたい狩猟博物館というのは、まだ先ですか?」
「ん〜、もうちょっと先だな」
 白い息を吐きながら並んで歩く。空気は冷たいが、身体がそれほど寒く感じないのは腕に抱えた焼き栗の袋のせいだけではない。
「博物館の後は、あったか〜いホットワインにジビエ料理なんてどうだ? いい店を知ってるんだ」
「料理は結構です。・・・と言いたいところですが、旅の楽しみは食べ物にあるんでしょう? お付き合いしますよ」
 穏やかな笑みをたたえてチャーリーが同意する。いつも通りの皮肉な応酬(「食事は不要です!」というやつだ)のひとつやふたつはあるだろうと予想していたレイフロは、一瞬息を詰めた。
「・・・・・・お前、変わったな」
 あんまりにも丸くなって素直な反応を返されると、レイフロの方が戸惑ってしまう。なんというか、懐かれて可愛くて、チャーリーが愛しすぎて胸が苦しくなる。愛情も過ぎれば胸を締め付ける。
「そうですか?」
 角が取れたという自覚がないのだろうか。チャーリーはよく分からないという顔をする。
「うん。・・・俺、お前に殺されそうだよ・・・」
「殺しませんよ。もうそんなつもりはありません。むしろ、今はあなたを守りたいんです」
 やっぱり殺される!
 今、何かがズキューンと胸を貫いたぞ! この王子様フェイスで、穏やかな笑顔でそんな決意表明されてみろ。世のお嬢さんじゃなくても腰砕けになるというものだ!
 レイフロは砕けそうな腰で、ふらふらと栗剥き王子様の腕にしなだれかかった。エスコートをしてもらわないと歩けそうにない、と甘えた声を出すと、王子様は困った顔をする。「だから! こんなふうに外でくっつかれるのは、ちょっと困ります」。そして視線を泳がせる。泳がせて、はたと周囲を見渡した。
「ココではあまり気にしなくていいと思うぞ?」
 レイフロは、チャーリーが気付いたことを裏打ちするように、さらにダウンの腕をぎゅうと抱き締めた。
 数歩先の路上では、チョコレート色の肌をした女性と赤毛の女性が熱烈なキスを交わしている。通りの向こうでは男性二人がお互いの腰に腕をまわして、明らかに愛を語らっている・・・ように見える。
「えぇと、マスター・・・」
 この界隈には、同性の二人連れが多くいるように見えるのですが。
「うん。ノートルダムの北、パリ市庁舎の東のこの地区は、いわゆるゲイタウンだからな!」
「はぁ?!」
 どこにだってこういう地区はあるだろ? シスコならカストロ、トウキョウならシンジュクニチョウメ。そしてパリならマレ地区だ! とくに驚くことはないと思うが。
「あなた、わざわざ私をここへ連れて来たんですか?!」
 ばっとチャーリーがレイフロの腕を振りほどいた。なんでそんなに赤面してるのかな、チェリーは?
「別に、ただの通り道だって。わざわざお前を連れてくる意味なんてないだろ? 過剰反応するなよ」
「ッ! 例えたまたまだとしても! 腕を組んだりするのは困りますっ」
「え〜〜〜」
 まぁ、チェリーの気持ちも分からなくはないが。
 例えば、あくまでも例え話だが、チャーリーはレディとデートをするときでも、必要以上に身体を近づけることはないだろうとレイフロは思う。礼儀にはうるさい男だから、必要ならエスコートは完璧にやってのけるだろうが、ボディタッチやスキンシップとなれば別の話だ。たとえ女性が腕を絡ませたとしても、時機をみてするりとほどいてしまうに違いない。お堅い優等生は人前ではいちゃついたりはしないのだ。これがレイフロであれば、内心鳥肌をたて絶叫しつつも、最後まで腕をほどいたりはしないのだが。これはダンディズムの見解の違いとでもいうのか。
「意地悪な男・・・」
 ぼそりと抗議して頬をふくらませてみても、「嫌なものは嫌なんです」と牽制して腕を取らせてくれない。栗は剥いて口に入れてはくれるけど。そこにチャーリー的な矛盾はないのだろう。
「ふ〜ん・・・」
 もぐもぐと口を動かしながらレイフロは思案する。そこまで嫌なのだったら仕方がない。ならば、こちらとしては実力を行使するまで。策を弄するまでだ。チャーリーといちゃつくためなら全力を尽くすのがレイフロなのである。
 どうしてくれようと思考を巡らせたところで、頬に冷たい感触が落ちた。視界にひとひらの白が舞い落ちる。
 レイフロは誘われるように天を仰いだ。天上は、冬の夜。暗いながらもみっしりと雲が敷き詰められている。そこからふわりふわりと舞い落ちるのは。

「la neige (雪だ) !!」
 上を向いたままでレイフロが声高く叫んだ。聞き慣れない言葉に、チャーリーはきょとりと動きを止めたが、レイフロを中心に周囲の人間たちが一斉に空を見上げた。
 その一瞬の隙に。
 チャーリー視界が塞がれた。ふわり、とウェイブのかかった黒髪が頬をかすめて、レイフロの唇がチャーリーの唇に触れる。チャーリーの被ったキャップのつばにぶつからないように、角度をつけて、ほんの一瞬だけ。
 レイフロはそのまま勢いをつけてチャーリーの脇を通りすぎた。たたたっと小走りに、石畳を先に行ってしまう。動きに合わせて、毛皮の先が尻尾のように揺れる。チャーリーの視線がそれを追った。
「ほら! 早く行くぞっ!」
 振り返り、したり顔でレイフロが呼んだ。
「・・・あ、待ってください!」
 我に返ったチャーリーは、足早にレイフロに追い付いてセーターの肘を掴んだ。周囲を気にして、小さな声で耳元へ責めるように。
「あなた、さっき、周囲の視線を避けるために、わざわざフランス語で叫びましたね」
「さぁ? 俺は別になにを見られても構わないからな」
 くくく、と目を三日月の形にして笑うレイフロの、なんと憎たらしくて愛しいこと。チャーリーは仕方がないなと諦念を込めて肩を竦めるしかなかった。
 そして、雪の舞い始めた街を、ふたりはじゃれ合うように肩をぶつけながら歩いていく。
 もう周囲は雪に目もくれずにいつもの冬の宵。冷たい澄んだ空気にオレンジ色の街の灯りがほんわり浮かぶ。誰もパリのアメリカ人には気もくれない。
 そんな街のいつもの風景にふたりは溶け込んでいった。







【後記】


 取り急ぎ新年1本目の短文でございます。今年もよろしくお願いいたしますm(__)m。

 新年はスパに行く話にしようと思ってたのですが、気が変わってパリに行ってもらいました☆ マレ地区には行ったことはないのですが、冬のパリの雰囲気を少しでも感じていただけたらうれしいです。
 そして、今回はふたりが普段しないであろう服を着てもらいたかったんです。書いておきながら自分でもちょっとイメージしにくい(笑)。でも、いつもと違う服ってマスターが喜びそうよねって思って。
 もちろんBGMはガーシュウィンの『an american in paris』♪ この曲ってクラシックなのかしらジャズ???


2012.1