夜が明ける前、ぎりぎりの時間に自分の家の玄関の前で俊巡する。
 どう言い訳をしたら彼は素直に納得してくれるだろうか。

   仕事で外泊するとマスターに伝えたのが4日前。着いていくと言い張るマスターを2日で終わる予定だからと置いて出かけたのだが、予想外に手こずってしまい、こうして2日オーバーで帰ってきたのだった。
 これでもできるだけ急いで帰ってきたつもりだ。本当は今日の昼過ぎに到着する飛行機に乗るはずだったところを、あるツテを使ってなんとか夜明け前到着の便に変更したのも、マスターの起きている時間に間に合いたかったから。
 でもそんなことを訴えたところで彼は聞く耳を持たないだろう。何しろ一筋縄でいく相手ではないのだ。
 彼はまだ起きているだろうか。起きていたとしても4日間もの放置と遅れた帰宅に拗ねていることは確実で、こうして玄関のドアを開けるのを躊躇してしまう。
 だがいつまでもこうしている訳にはいかない。
 それに会いたい、もう眠っていたとしてもせめて顔だけでも見たい。という気持ちが溢れてドアのキイを回した。
 そっと、玄関を開けて近所迷惑にならないよう小さな声で室内に向かって帰宅を告げる。

「ただいま戻りました」

 すると、明かりのついていたリビングから人の動く気配がして、程なくレイフロが現れた。

「おかえり、チェリー」

   拗ねていない、穏やかな表情に違和感を覚えながらもほっと息をつく。

「帰宅が遅くなり、すみませんでした」
「ん、分かってるさ」

   遅くなった言い訳をしようとして、不意に手を取られる。
 右手がレイフロの両方の手にしっかりと包まれたかと思うと手の甲に唇が押し当てられた。
 チャーリーの手にキスをするために伏せられた艶黒い睫毛が、長く頬に落ちる前髪からのぞき、そのこ惑さに一瞬息を飲む。

「あの、マスター…?」

 そのままたっぷり10秒の沈黙。
 そして沈黙は不穏な忍び笑いで破られた。

「ぐふふふふ」
「は?マスター?…なっ?!」

 怪しすぎるレイフロの様子に思わず身を引こうとして、一瞬の後、何が起こったのかを理解した。
 レイフロの手と自分の手が離れない。しっかりと接着されているのだ!

「あ〜、やっぱり強力だなぁ。特に強力なglue(接着剤)っていうのを買ったからな!」
「なっ、接着剤で手と手をくっつけたってことですか?!」

レイフロはというと、手を引っ張ったりひらひらと振ったりして、くっついて離れないお互いの手を確認している。
そして満面の笑み。

「門限を破った息子へのお仕置きだ、チェリー。これからずっとずっとず〜〜〜っと一緒にいような!風呂もトイレもベッドも!!」

チャーリーが気が遠くなるような感覚がしたのは、もちろん仕事の疲れからではない。
気持ちを落ち着かせるようにひとつ深呼吸をして、目の前の悪戯っ子の顔を諭すように覗きこむ。

「あの、マスター。お忘れですか?私の腕は取り外し可能でスペアがあるということを」
「!!??」


 いくら悪戯とはいえ、やっていいことと悪いことがある。とまたひとつ学んだレイフロだった。







チェリーに構ってもらえなくて水銀飲んじゃう人ですからねぇ。マスターは(笑)。
接着剤くらいじゃぬるいですかね???








How do I look , cherry?」

ひらりとチャーリーの前で回転してポーズまできめて見せながらレイフロが問う。

「How... とはなんです?」

それはいつもと変わらぬレイフロの姿。
チャーリーは眼鏡のブリッジを持ちあげ目の前の主の姿を注意深く検分する。

「『今日もいつも通りお美しいですね』とでも言えと?」
「『いつも通り』?おまえのその目は節穴か?」

恨みがましい顔がずずいとチャーリーに迫る。

「ええと・・・いつもと同じ黒いシャツに同じ髪型。あ、チョーカーが違いますか?」

なんとかレイフロのお望み通りの言葉を言わなければ後々駄々を捏ねられて大変だと経験で知っているチャーリーは目を皿のようにして『いつも通り』ではない個所を探す。

「だーっ!誰が間違い探しをしろって言ったんだよ!!ちょっと手を貸せっっ」

レイフロは無理矢理チャーリーの手を取ると自分の髪に肌に触れさせる。

「どうだ?」
「どうだと言われても・・・」

何の事だか分からないチャーリーの調子にがっくりと項垂れる。

「せっかく久し振りのデートだっていうからエステに行って肌を磨いて髪もトリートメントで艶々にしてネイルもばっちりなのに、かわいい息子は全く気が付いてくれない・・・」
「というかただ一緒に本屋に行きましょうと誘っただけで何故そこまで張り切るのか理解できないのですが」

項垂れていた頭が跳ね上がった。

「チェリーのばかっ!男心の分からない唐変朴―――ッッッ」







あ、レイフロ達は血を飲めば肌も髪も艶々になるんだった。






J


※若干の特典CDのネタばれを含みますが、聴いてなくても読み流せるレベルだと思います。





 チャールズの養父であり、主人であり、同居人であり、餌でもあるジョニー・レイフロ(本来はこの名前ではないが、今は諸事情によりこう名乗っている)は、非常に社交的な人間だ。彼の友人には年の老いも若きも、また富を持つ者も持たない者もいた。ただ、老若男女、と言わないのは彼が非常に女性嫌い(恐怖症といってもいいくらいだ)で、友人にほとんど女性は含まれないからである。
 とにかく。レイフロには知り合いが大勢いる。
 だからこうして街を歩けば、犬も歩けばなんとやら。知人に行きあう確率も相当なものであった。それが今のチャールズを苛立たせていた。


「お、ジョニーじゃないか! 何だいデートか?」
「まあね! ところでフランク。ホットドック屋の景気はどうだい?」
「まぁまぁかな! ところでピーターのことで相談があるんだけど」
 特にゲイの友人に会ってしまうと、どういうわけか立ち話が長くなる。チャールズは特に差別意識も持たないし他人に対し好意的であろうと心掛けているので、こういう場合はにこやかにレイフロの立ち話を傍らで聞く羽目になるのだが、何故に彼らはボディタッチが盛んなのであろうか。フランクに関しては恋人がいることをチャールズも知っているから変な目で見るわけではないが、何故道で立ち話をしているだけなのにレイフロの髪に触れる必要があるのか。腰に手を当てる必要があるのか!?
 これは決して嫉妬などではない。とチャールズは思う。ただ、道行く人々の視線が気になるだけなのだ。絶対に、間違っても、これは嫉妬などではない。
「失礼」
 ずい、とレイフロとホットドック屋の間に割り入って話を中断させる。相手に不快な思いをさせないようにあくまでもにっこりと。
「マスター、そろそろ映画の始まる時間になってしまいます。お話はまた今度にしては」
「あぁ、そうだったな! じゃ、フランク。悪いな、また今度」
「おぉ、デートの邪魔をして悪かったな!」
「デートじゃありません!」
 これから見に行く予定の映画は、レイフロたっての希望でゲイのラブコメ映画だった。チャールズとしては別に見逃してもなんの不都合もなかったが、約束は約束だ。前のように反故にした、とレイフロに機嫌を損なわれては敵わないのである。

 とにかく、あと数メートルで映画館に辿りつくというところで、不意に声を掛けられた。
「失礼。ミスター・レイフロではありませんか?」
「ん? …あ、グレニック社の。久し振りだな!」
「これは御無沙汰をしております。いつも当社の製品をご愛顧いただきありがとうございます」
 レイフロと先方はにこやかにビジネスライクな挨拶をし、握手をして・・・と思ったチャールズが甘かった。
 何故に取引先の人間と抱擁をして両頬にキスを交わすような親密な挨拶をするのかマスターは!?
「ッ、〜〜〜マスタァーッ!!」
「へ? あ、チェリー、こいつとは昔からの長い付き合いでだな」
 にへら、と何も気づいていないレイフロはお互いを紹介しようと顔を向ける。
 そこにずずいと分け入り、レイフロの手を掴んだのは無意識だった。
「いい加減にしてくださいよ!」
「ん? 何怒ってるんだチェr」
「失礼。少し急いでおりますので、これで失礼いたします」
 ここで先方に笑顔でフォローを入れられたのはさすがというべきか。でもチャールズの目は笑ってはいなかった。レイフロの手をきつく掴んだまま鼻息も荒くその場を去った後には、茫然と立ちすくむグレニック社の社員だけが残ったのだった。

「ちょ、チェリー? 何怒ってんだよ?」
「別に怒ってなどいませんよ。ただ映画をどうしても見たいと言ったのは貴方でしょう。また映画が見れなかったなどと拗ねられては敵いませんからね」
「え、嘘」
「は?」
 ぱぁっとレイフロの顔が輝いたかと思うと握っていた手を掴み返される。レイフロの目尻が嬉しそうに垂れて、若干鼻の下が伸びているような気がしたのは見間違いだろうか。
「チェリー君てば、もしかしてパパに Jealousy?! 」
「は、…?! 違います!! さっきから映画の時間だと言っているでしょう!!!」
「うんうんそうかぁ。そうなのかぁvvv」
「違います!!!!!!」

 それから数時間。至極上機嫌となったレイフロと手を繋いだまま映画を見る羽目になったチャールズは、周りの視線が気になって映画の内容など頭に入るはずもないのであった。







正統派ラブコメっぽい何か(笑)を目指してみたりしました。






K


「ひとつ質問!」
 ずずい、と寄せた顔には不満の表情をありありとのせてレイフロはチャーリーににじり寄った。
――― 一体なんですか。
「なんでチェリーは聖書を捲っているのかな? 宗教は捨てて俺を取るって言ってくれたのに!」
――― それは、……すみません。長年の習慣でつい、手に取りたくなってしまうんです。これはただの読書なんです。
「ふうん。読書をしてるだけだって言いたいわけか」
――― まあ、その、だから……すみません……。
「読書も却下! こんなもの、こうしてる」
 レイフロは聖書をチャーリーから取り上げると、ぱさりとソファの上に落とした。大きく放り投げなかったのはレイフロの良心だろう。それでも書物を手荒に扱うのは感心しない。
――― ちょ、やめてください。
「やめてほしかったら態度で示してほしいものだな!」
――― それは、その……。
「せっかくふたりっきりでいるのに、チェリーはちっとも俺の気持ちを分かってくれない!!!!!」
 至近から、再び距離をゼロにしようとしていた口元を、やっとのことで押し留めて手のひらで塞ぐことに成功したチャーリーはふう、とひとつため息をついた。これでやっと落ち着いて呼吸ができる。
 レイフロは「もご」と呻いて恨めし気な視線をこちらに向けているけれど、ここは態勢を整えなければ。
「だからって、一人でまくしたてて私が返事をしようとするたびに口を塞ぐのはどうなんですか。これじゃ会話もできないでしょう」
 言い分を聞いてやろうと口を覆っていた手をそっと離すと、ぷはあっと盛大に息を吐いたので近くにあったチャーリーの揃った前髪がふわりとそよいだ。
「だって、iss、したいんだからしょうがないだろ」
「返事くらい聞いてください」
「だって、こうしたらお前は俺の方に意識を向けてくれるし。本を読んでる時はいつも生返事をするくせに!」
 頬を赤く染めて、拗ねて口をとがらせている顔を、ぐいと両手で挟むと更に赤くなってまるでタコみたいになった。おそろしく可愛くて愛らしい、オジサンのタコだけど。
 むーと唸るその口に音もたてずに表面が触れるだけのキスをした。
 膨れた頬をつぶした顔に口づけるのは雰囲気もなにもあったものじゃなくて、ふたりとも「ぷっ」と噴き出してしまったけれど。
「これが、お望みなんでしょう?」
「ばか。全っ然足りない」











甘みを増やすとキャラが崩壊してくる・・・。
Kはキスしか思いつかなかったよ!
で、数パターン考えたうちの一つをあげてみました。
普通に付き合ってる日常。こんなのvassaじゃなくてもいいだろうって思うんだけど、いいじゃないですか! 所謂リア充好きなんだもの!! ラブコメが大好きなんだもの!!
ちゅっちゅとキスをしてるから会話にはならないんだけど、なんとなくお互いに言いたいことは分かる、って雰囲気が好きです。






L


 リビングでラップトップPCを使用したのがまずかった。
 諸作業に没頭してしまい、日が暮れたことにも気がつかなかった。

「チェ〜リィ?何してるんだ?」
 ほら、やっぱり。起きぬけにリビングを覗き、私がそこにいることを確認するとマスターはおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせながら擦り寄ってくる。もう今日は作業は進まないだろうと諦めるが、これだけは済ませてしまわなくては。

「マスター、頼みますからあと少しだけ邪魔をしないで下さいよ」
「うん?なになに、銀行のページ・・・にアクセスしてハッキングでもするつもりか?」
 許可もしていないのに不躾にパソコンの画面を覗きこむマスターを肘で牽制しながら必要な事項を入力していく。

「振り込みの、手続きをしているだけです」
「振り込み?ってどこに・・・・・・あーーーっ!」
 送金先に気がついたのかマスターが喧しい声を上げる。
 悪い事をしているわけではないが、こういったことはどことなく気恥ずかしい気持ちになるし、特にマスターには知られたくなかった。しかし、隠そうと思っている事に限って露見してしまうものだ。

「毎月、決まった額を振り込んでっ・・・て、なんだこれッ、愛人か?隠し子か?何かの慰謝料なのかッ!?あぁぁ俺というものがありながらちぇりーはぁぁぁ!!!」
「違います!何故あなたはいつもいつもおかしな方向に誤解するんですか!」
 何か激しく誤解をして取り乱すマスターに、すかさず訂正を入れる。
 たしかに毎月とある場所に送金をしてはいるが、これは何かの支払いだとか、ましてややましい金というわけではない。





「―――――寄付?」
「そうです。明日の食糧さえも入手困難な子供。望んでも教育を受けられない子供。家族も無く途方に暮れている子供―――。他にも多種多様な理由で苦しんでいる人達が世界中にいます。せめて、少しでもそんな人達の救いになればと、毎月いくつかの支援活動機関に送金しているのです」

「へえ。『Daddy-Long-legs』ってわけか。さすが。敬虔なクリスチャンのイイコは、やることが優等生だな」
 いたずらにタッチパッドを撫で、画面をスクロールしながら入出金の履歴を眺めていたマスターの指が、ある個所を確認して止まる。  そう。こんな事を始めたのは、

「あなたと暮らしはじめてからです」


 マスターと暮らすようになって、あなたへの憎しみが薄れた頃。思い出したのだった。
 私がまだ年若い人間の、少年だった頃。岐路に悩んだ時、迷った時には何故かいつも進路に困らないだけのまとまった金額が匿名で送られてきたのだった。その時はその匿名が誰であろうかと分かるはずもなかった。しかし、そのおかげで少なくとも資金面では大きく困ることはなかった。

「今度は私が、困窮している子供たちの”名無し”の差出人になりたいと思ったのです。今の私は衣食住に困ることのない幸せな生活を送っていますし、それを一人で享受するのは教えに反しますからね」

 私は「幸せ」の大元に向かって告げる。

「へぇ、いつの世にもそんなありがたい事をする物好きがいるってことかね」

わざとつまらなそうに装って、気まずいであろうこの場を立ち去ろうとするマスターの指先を掠め取るように掴む。


「私は、その差出人を知っていますよ」



 何も知らない無知な私を見守っていてくれたのは、あなただ。そのあなたと共にある今がこの上なく貴重で幸福なのだと感じる。










いや、マスターと同居する前から寄付とかしてるでしょうけど。チェリーは。すごく「いい人」だもんね!
寄付とかしすぎて自分はぎりぎりの生活をしていればいい。
そしてまたマスターに援助されちゃうとかね!
そして、Lの字が中途半端なところに(>_<)!
すみません。「あしながおじさん」の英字表記を『Long-legs-Daddy』と間違えて記憶してたんです(汗)。