T


 朝の洗顔を済ませて顔をタオルで拭っていると、鏡の脇に取り付けられた棚に見慣れないものが置かれていることに気付いた。
 歯ブラシや洗顔用の石鹸、シェービングフォームなどに交じって置かれているそれは、いつからそこにあったのだろうか。
 いかにも色気のないシンプルな男性用の日用品の中に、花の模様が一面に描かれた紙製の円筒はいかにもそこに不似合いなように感じられた。
 チャーリーのものでなければ、当然誰のものであるかなんて分かり切ったことではあるが、さてではこれは何に使うものであろうかと若干の好奇心が湧き上がり、それを手にとって何の気もなしに蓋を開けるとふわりとハーブのような花のような、それでいて粉っぽい何とも言えない芳香が鼻腔をかすめた。
talc か・・・」
 その香りには覚えがあった。
 夏は汗が気になるからとレイフロは食事の前にシャワーを使いたがるが、それを待てない時がチャーリーにはある。それを揶揄して「待てができない」と時折からかわれるのは心外であるが事実であるので碌に言い返すこともできないのが現状だったりするのだが。
 とにかく、この香りはレイフロが纏っていたものに間違いなく、肌にすりこまれたタルクを舐めた時の舌のぴりりとした刺激の記憶が反芻された。
 主にこの香りを嗅ぐのは夏場が多いのでレイフロは制汗剤がわりに使っているのだろう。なるほど夏の暑さの中でも肌がすべやかさを保っていられるのはこうした化粧品を使っているからなのだなとチャーリーはひとり納得した。一般的な男性と同じでチャーリーには化粧品の知識も身体を美しくするために磨き上げるという習慣もないから、こうした小物を見つけるたびに同居人の酔狂にも感じられる洒落っ気にあきれたり感心したりさせられる。
 かぽ、と蓋を閉めてラベルを見れば、そこには知った店の名前が書かれてあった。
 洒落っ気のないチャーリーが店の名前を知っているのは、その店が世界最古の薬局であり、さらにその前身は修道院であったことで有名だからである。薬草や薬剤の知識を得ようと教会関係の資料をあされば自然この店の名前を目にすることになる。
 たしか本店はフィレンツェにあったが、自分が仕事で赴くヴァチカンの近くローマにも支店があったはずだ。レイフロが愛用しているのであれば今度あちらに行ったときにでも土産として買ってみようか。
 円筒を洗面台の棚に戻すとチャーリーは朝の支度に戻るべく思考を花の香りから日常に切り替えた。








「海外出張に行った旦那さまがお土産を買う」的な構図(笑)
ほんとこういう妄想ってキリがないよね。
っていうか私がサンタマリアノヴェッラの化粧品を買いにイタリアに行きたい!
日本にも支店があるけど、お値段が違うらしいんだよね(^_^;)。
ところでタルクって日常的に使ってる人、いるのかな?
私の周りではあまり使ってる人いないし、お土産としてもらったりはするんだけど自分では買わないし、レトロなイメージがあるんだけど。海外ではメジャーだったりするんでしょうか。あ、でも海外のホテルにはアメニティとして置かれてるところもあったな。
レイフロとかは昔の人だから使ってると面白いなぁと思って。で、チェリーが食事の時に舐めちゃって「苦い・・・」って顔顰めたりしたら楽しいな(笑)。



2011.9





V


 きっとクリスは腕のスイッチを切り忘れたのだ。
 もしくは、わざと少しの、ほんの少しのVoltageを流しているのかもしれない。何のためにかなんて知らないけれど。
 何故かって?
 それは彼に触れられるたびに皮膚が痺れて、その余韻がいつまでも続いて頭をおかしくしてしまうから。それなのに、彼は首、胸、脇の下などのたくさんの血が、どくどくと流れるところに触れるのをやめない。
 ちり、頬にまた電流が走る。
 顔にうるさくかかる髪を後ろに流して、こめかみにキスを落とす唇からも刺激は絶えず流れてくる。

「俺を感電死させるつもりか?」

 そんな風に恨めし気につぶやくと、チェリーは訳が分からないという表情をする。

「なんですって?」
「いや、なんでもない」

 答えるのは面倒くさくて、問いには曖昧な返事。
 無意識に流された電気は、体中を巡って皮膚を粟立たせる。







触れられて電気が走るなんて、よっぽど激しい恋の最中でないと起こり得ないと思うけどね。
でもほら、BLはファンタジーだから!
vassaもファンタジーだから!


2011.4





W


エレベーターの扉が閉まる。
アパートメントのエレベーターはそう広くない。狭い空間にふたりきりになるとチェリーは落ち着きのないそぶりで眼鏡のブリッジをおさえ、それから大きく息を吐いた。俺は気付かないふりをして壁に背をもたせ横目でチェリーの様子を探る。薄く冷や汗をかいて呼吸も浅く細かい。限界なのだろう。もう2週間も食事をしていないのだから当然だ。
部屋に着くまであと数分。チェリーは耐えられるだろうか。心の中で勝手に賭けをする。
衝動に打ち勝ち、部屋まで我慢することができたらチェリーの勝ちだ。好きなだけ、好きなところから食事をさせてやる。
もし、我慢できなかったら・・・。エレベーターの中で喰われるのもスリルがあっていいかも。口元が弛む。
が、目的の階数に着いたことを知らせる金属音が響いた。目論見に反して目の前のドアが開き、チェリーの部屋まではあと数歩。
ちょっっっと、残念。まぁ、いいか。

チェリーが後ろ手に玄関の扉を閉める。
俺を見る目は既に獲物を見るそれになっている。よくここまで我慢ができたな。えらいぞ、チェリー。

「You're Winner,cherry」

その場でチェリーを引き寄せた。






X
※19〜20章辺り。アルフォード邸に捕らわれのレイフロ&チャーリー※



 明るい清潔な部屋にふたり、向かい合っているというのに、どちらも立ち尽くすことしかできない。
 ふたりの間は分厚いマジックミラーで仕切られているのだ。姿は見ることができても、触れることはできない。
 ガラスの壁に置かれたレイフロの手に、自分のそれを重ねるように置いてみたが、体温さえ感じることさえできなかった。
 ただ、声だけがそこを越える。
「もう、体調はよろしいのですか?」
「ああ、大丈夫―――」
 会話はできても、部屋のあちこちに仕込まれた監視カメラと盗聴器がすべてを拾っているだろうと警戒して、他愛のないことしか話せない。それでもお互いの顔を見れるのだからよしとしなければ。
 けれども。
 チャーリーは自分たちの間に立ちはだかるガラスを叩き割りたいと思った。
 左腕は失くしたが、右側はまだ残っている。ダイヤモンドカッター(便宜上こう呼んでおく)か、出力を最大にしたロケットパンチをくらわせれば、割ることくらいできるのではないか。
 そうすればマスターを連れて脱出することができる。
 いや、しかし。もし失敗したらどうなるか。チャーリーは安易な思いつきを振り払うように頭を振った。「人質」として捕らわれているマスターの身の安全は保障されなくなる。チャーリーは唇を噛んだ。
 アルフォードはこちらの手の内を知り過ぎている。武器の強度も調査済みだろう。そう考えれば、今無闇に手を出すのは得策ではない。
 ―――どうすれば。
 考えに沈んだチャーリーの意識は、コツコツとガラスをたたく音で浮上した。顔を上げると、やはり目を伏せて考え込んでいるレイフロがガラスのすぐ向こう側にいる。
 厚いガラスと唇の間に、軽く握った手を挟んでいる表情はまっさらでなにを考えているのか読み取ることはできない。おそらくポーカーフェイスは監視カメラを警戒してだろう。いつものころころと変わる表情は、そういえばしばらく見ていないな。少し前のサクラメントでの生活を懐かしく感じる。
 またコツコツ、と音がした。
 音の出所はレイフロの指先だった。彩られていない素の爪がガラスをコツ、と叩いた。チャーリーがそこを見れば、叩くのを止めた指先がガラスの上を滑った。まるで文字を書くように。
 その文字は、暗号でも、ましてや文章ですらなかった。ただひたすらにふたつの文字が繰り返される。

   OXOXOXOXOXO――――

   それは若者が使う記号であったが、チャーリーだって意味くらいは知っている。
 キスとハグを意味する記号を無限に綴る指先に、チャーリーは頬が熱くなるのを感じた。
 レイフロの指がまた滑る。
 今度は、文章だった。

 I
 miss
 you

 口元に添えられていた拳が、ガラス越しの、チャーリーの唇を撫ぜるように動く。あらわになったレイフロの口はわずかに開いていて、吐息が洩れたのが分かった。厚いガラスを隔てているはずなのに、顔に息がかかったような錯覚がしてチャーリーは全身の毛が逆立つのを感じた。
 あぁ、この自分たちの間に立ちはだかるガラスを叩き割ってしまいたい!
 拳をガラスに押し付けるだけで衝動を抑えつけるのは苦労した。でも、今は、我慢だ。
「今は我慢だ。クリス」
 こだまのようにレイフロがささやく。俺もお前もな。耳に心地よい声は思いの外しっかりしていて聞いたチャーリーの心を落ち着かせた。
「今度、お前に『熱烈なラブレター』を送るから、『覚悟して』読めよ」
 台詞の内容に反して顔と声が大真面目なので、チャーリーはレイフロの言わんとしたことを理解して頷く。
「必ず、読みます。―――そろそろ行かなくては」
 次は何をさせられるのか。この後アルフォードの執務室に来るようにと命じられているチャーリーは暇を告げた。
「あぁ。クリス」
 大丈夫だから。とレイフロは声に乗せずに告げる。今度は不敵な笑みを見せたレイフロに、チャーリーも笑みを返して部屋を出た。










2011.11





Y


 初夏の夜。菫色と濃紺のグラデーションの空がきれいだったから窓を開け放して、安らかな時間を楽しむ。
 ソファに座り銃火器の改造に勤しむチャーリーは重い肩が動かしづらいと思いながらも、もたれて酒と煙草を楽しんで いるレイフロをそのままにしていた。
 ほわんと紫煙を吐き出しながら、ふとレイフロが口にする。
「なぁ、チェリー。『パパ大好き』って言って?」
「はい?」
 唐突な要求はいつもの事で。
 チャーリーは複雑な作業をしていた手を止めて肩の重みに意味を問う。
「うん。お前に『大好き』って言われた気がしたって思ってたんだが、それはお前じゃなかっていうか・・・。うーん、 まぁ、耳のおクチ直しみたいな?」
「……」
 この場合、言葉の使い方が間違っているというのは瑣末な問題だ。そして意味不明な言葉を深く問い詰めるべきであるだろうか。確 かに自分は『大好き』とは言ったことはない。『愛しい』とは言ったことはあるが。それもレイフロにではなく、夢魔に。
 レイフロが望んでいるのは、つまり。『大好き』という言葉なのだろうか。
「…そういう事は、軽々しく口にするべきではないと思っているのですが」
「口に出して言わないと伝わらない事もあるぞー」
 では、どう伝えるべきだろうか。暫し思案する。
 窓から入るささやかな風がカーテンを揺らし、チャーリーが考え込んでいる間、レイフロは大人しく望みの言葉を待っていた。ウイスキーの入ったグラスの氷が溶けてカロンと涼しい音を立てる。

「―――そもそもあなたは、本当に『パパ』と呼ばれたいのですか?」
「うん?」
 なんというか、チャーリーにとって、そんな呼び方の対象としてレイフロの存在は超越してしまっている。今更「父親 」だなんて呼ぶのはしっくりこないのだ。
「少し…その呼び方とは違う感情をあなたに持ってしまったようなので」
「……ふん?」
 肩越しにグラスを傾け酒を飲み込む気配を探る。
 こっそりと覗きこんで、後ろ向きの黒髪の隙間から見える耳が首元が赤くなっているのを確認して、チャーリーまでつ られて頬が熱くなる。
「―――なら、好きに呼べ。クリス」
 照れ隠しのつもりなのか、ぐいぐいと肩に頭を擦り付けてきたせいで更に重くなった肩をそのままにチャーリーは中断していた手作業を再開した。
es,My master.」







『master』にはいろんな気持ちが込められているよ!
ちなみに『大好き』と言ったのはチェリーの姿をしたバリーですね。3巻参照。

タイトルがですね、『master』のMにしようとしたら、既出だったので・・・。苦し紛れに『yes』のYにしてしまいま した(汗)。
自分で考えておきながら、この企画、なかなかに苦しくなってきたよ(笑)。


2011.6





Z


 9月になって秋の気配がそこかしこに感じられるようになったとはいえ、昼間の太陽の威力はきっと冬のそれには比べものにならないのだろう。まばゆい熱に当てられたのか、昼型の生活を送っているクリスは最近見るからに疲労が溜まっている。
 生ぬるい宵の中、散歩ついでに外で軽く一杯引っ掛けて家に帰ると、自室の書き物机に突っ伏して眠っているクリスを発見した。
「あ〜ぁ、やっぱり疲れてるんだな。キツい時くらい夜型に変えたっていいだろうに。意地っ張りだねぇ」
 返ってきた主人に甘えようと足元に擦り寄ってきた猫姿のミネアを抱え上げてゴロゴロと鳴らす喉をくすぐりながら、さてどうしたものかと思案する。
 自分達が疲れを癒すのに一番手っ取り早いのは『食事』を摂ること。だが、と至近距離に自分がいてもまったく気付く様子もなく眠りこけているチャーリーを見下ろす。頬を机に押し付けているものだから、眼鏡がずれてちょっと間抜けな様子になっているのがなんとも可愛い。こんな無防備な可愛い姿は滅多にお目にかかれるものではない。これを堪能しない手があるだろうか。
「ミネア、あっちに行っておいで」
 悪戯を決行する気満々でミネアを床に降ろすと、何をしでかすのか察知した猫はやれやれといった仕草を見せてドアの隙間から出ていった。
「さて、と」
 レイフロは手を擦り合わせると悪魔のような笑みを浮かべて、そろり、手を伸ばしてすべやかな金髪を撫でた。お日さまの匂いのする、やわらかくて癖のない髪を弄るのはミネアを撫でるのとは違った心地良さがある。
「う…、ん」
 むずがるようにチャーリーが息をもらしたので、パッと手を離してホールドアップ。その姿勢で暫し様子を窺う。
 大丈夫、まだ起きないようだ。
 にやりと口の端をあげて、今度はふに、と頬を押してみた。指先は子供の頃のクリスの感触を覚えているが、今触っているのとは全く別の感触だ。つつ、と人工皮膚との繋ぎ目をなぞる。
「…ッ?!」
 チャーリーが再度身じろぎをしたので手を引っ込めようとして、失敗したことに肩が跳ねる。
 今までちょっかいを出していた手をがっちりと掴まれてレイフロは焦った。
「あれ、チャーリーくんはお目覚めかなぁ? グッドモー・・・って、え、おい!」
 椅子からゆらりと立ち上がったチャーリーは目が据わっている。じっと半眼で見据えられて、あれれお疲れのところを無理に起こされてご機嫌ナナメになってる?! 掴まれた手首も跡が付くかと思われるほどに強く握られて、これはちょっとマズかったかなと手を打つ。こういう時はさっさと謝ってしまおう。
「えっと、起こしてゴメンネ」
 けれどチャーリーは聞く耳を持たない様子でぐいぐいとレイフロの身体を押して脚を一歩、二歩、と進める。くっついた身体は離すことができなくて、そのままレイフロはチャーリーと脚をもつれさせるようにして後退した。行き止まりにはベッドがあったために惰性で進んだ二人はそのまま倒れ込んでしまった。
 お約束ですよねー。こういう展開になったらヤる事はひとつ。いや自分達の場合はふたつあるか。そしてチャーリーは極度にお疲れの様子。だったらどっちを選択するかなんて迷う必要もない。
「お疲れのベイビー、食事の時間だな」
 自分に馬乗りになったチャーリーに、髪をかきあげ首筋を見せつけるように晒して誘うようにおいしい餌を演出して見せると、間髪入れずに圧しかかられた分だけ身体が重くなった。ぎしりとベッドのスプリングが鳴って、捕食される幸せに心臓が弾んだ。
 けれども。

zzz・・・・・・」
「………え、」
 しばしの沈黙。
「……寝オチってあり?」
 せっかくのノリノリな気分に水を差されながらも、レイフロは仕方がないかと溜息をつく。
 だってクリスの寝顔には昔から弱いのだ。
「good night クリス。いい夢を」








もう10月ですね!
季節を若干外してしまいましたすみません。そしてお約束な展開(汗)。
でもこれを書き始めたのは8月末だったんです。途中放置したのがいけなかったんだけど、遅筆すぎる〜。
それにしても今年の夏も暑かったですね。吸血鬼じゃなくてもあの太陽にはばてばてになるっての。


2011.10