Hard Drinker.



 レイフロは、しばしばその店に顔を出している。いわば常連客だ。
 店構えはいたって普通のバー。だが、客層に特徴がある店だ。狭い店内を見渡せば気がつくだろう。各テーブルにつくのは同性同士の組み合わせがほとんどだということに。そう、ここは同性愛者が集う店なのだ。だからといって別に相手を探す場所ではない。気の置けない仲間と自分を偽らずに話をすることができる。そこはそんな家庭的な雰囲気を持つ店だ。

 ウィスキーのソーダ割りを口に含みながらフランクはレイフロに話を振った。
「それで、結局ジョニーは『チェリー君』のことが好きなんだろう?」
「そりゃあもう! でもいろいろ複雑な事情があってな。難しいんだよ俺たちは」
 同じ銘柄のストレートを揺らしながら答えるレイフロは、唇を歪める。酒のふくよかな芳香が漂う。この日本の銘柄は繊細な舌触りと香りが魅力的だ。名前は『Hibiki』といったか、ラベルに大きく書かれたカンジの意味はよく分からないが、画数が多くてなんだか格好いい。カンジ、ファンタスティック! と日本贔屓のレイフロは好んでこの銘柄を選ぶ。――― それはともかく。自分とクリスの微妙な関係は、たとえ同じセクシャルを持つ友人にだって簡単に説明できない。
「あぁ〜、事情ね。あるよな、いろいろと」
 ここで根掘り葉掘りと探ってこないのが、友人のいいところだ。セクシャルマイノリティとして、彼にも過去がある。『いろいろ』を探るのは好ましいことでと知っているのだ。話したければ本人が自ずと切り出すだろうというスタンス。レイフロにはそんな関係を心地良いと思う。
「ただなぁ、もうちょっとチェリーも素直になってくれると俺もうれしいんだけどな」
「愛情表現が足りないって?」
「そうそう」
 あははは、と軽く笑って話題を移す。こんな、欲望や暗い部分を含まない、あっけらかんとした『一般人らしい』付き合いも悪くないとレイフロがグラスを傾けたときに、フランクが店の入口に向かって「よぉ!」と手を上げた。誰か知人でも来たのかと入口に背を向けて座っていたレイフロが振り向くと、そこにはさっきまで話題にしていた人物、チャーリーがいた。
 チャーリーはレイフロを見つけると、一直線に歩いて距離を詰めた。夜遊びをしているところに踏み込んでくるなど珍しい。何かあったのかと訝りながらも、レイフロはほろ酔いのまま軽い調子でチャーリーに話しかける。
「チェリーくん! パパを心配して迎えに来てくれたのか? うっれしぃぃ!」
「何言ってるんです、違います」
 へらりと笑って放った言葉は無下もなくぱしりとはたき落とされてしまった。な? つれないだろ? と同席の友人に向かって苦笑してみせると、チャーリーがレイフロの肩に手を置いた。
「あなたを、父親以上の大切な存在だと思っています。前にそう伝えたじゃありませんか」
「ぶっ!」
 レイフロは口に含んだ酒を吹き出しそうになって慌てた。否定はそっちか! っていうか、人前でそんなこと言うなんてどうしちゃったの、チェリー君?! フランクも意外な展開に目が点になっている。
「覚えてらっしゃらないなら、もう一度言いましょうか? 今の私は、不器用な生き方しか出来ない愛おしいヴァンパイ」
「わーーーーっ!!」
 再び慌ててチャーリーの声に自分の声を被せた。別にレイフロとしては自分たちが吸血鬼であるとバレても一向に構わないが、チャーリーは普段から正体が明かされることを危惧して細心の注意を払っているではないか。
「――― ヴァンパイア? なんだそれ?」
 聞かれてほしくないことは案外あっさりと人の耳に入ってしまうものだ。フランクがすかさずレイフロに問い掛ける。あぁ、もういっそバラしちまうか? 知らないぞ俺は! レイフロが心の中で頭を抱える。
「・・・うーん、呼び掛け? 『マイハニーv』 みたいなノリのさぁ」
「へぇ、意外とオカルト趣味なんだな、ジョニーのチェリー君は」
「あぁ、そうなんだよ・・・」
 我ながら苦しい言い訳だが、フランクは納得してくれたらしい。というか、問題は爆弾発言を投下するチャーリーの方だ。
「おまえ、酔ってるだろう?」
 一見、背筋を伸ばした姿勢で顔色ひとつ変えていないチャーリーは素面そのものだが、発言がおかし過ぎる。普段の彼なら言わない言葉のオンパレードだ。今だって、ソファに座ったレイフロの背後に寄り添って肩のあたりを愛おしげに撫で擦っている。
「・・・・・・・・・、酔、ってはいませんよ?」
 そうか! 酔ってるんだな! その間がなによりの証拠だ。それに酔った人間は、自らを酔っているとは認めたがらない。
「まったく、困った奴だな。お前がそんなになるなんて、どんだけ飲んだんだよ? また誰かに絡まれて『勝負』でもしてきたのか?」
 例えばワインであれば樽単位で飲める男なのだ、チャーリーは。そんな彼が顔に出ないとはいえ挙動不審になるほど飲んだということ自体が非常事態だ。
「いえ、飲んだのは、グラス一杯です」
「はぁ?」
 レイフロは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。グラス一杯で混乱しているのだとすれば、それは酒ではない。どういう経過か知らないが、なにか怪しげなものを摂取した可能性がある。やれやれ、と一息つくとレイフロはチャーリーの手を取り立ち上がった。ここは一旦家に帰って何があったのか検証しなければならないだろう。
「フランク悪い、俺帰るからさ。また今度な」
 テーブルに数枚のドル紙幣を置いて「お先に」と告げれば、フランクが「俺のことは気にするな、仲良くな」とにやにやしながら手を振る。甘い空気を醸し出しているチャーリーに、「なんだ、お前たちうまくやってるんじゃないか」と微笑ましく思っていることは一目瞭然だ。そう簡単なことじゃないんだけどな、と苦笑してレイフロはチャーリーの手を引く。
「ほら、チェリー。帰るぞ」
「はい。あぁ、それと」
 チャーリーがフランクに向かってにっこりと笑みを向けた。周囲の男性客から称賛のため息が聞こえるほどの完璧なハンサムスマイルだ。――― 酔ってさえいなければ。
「マスターは私の大切な人なんです。あまり夜遊びに誘ったりはしないでくださ」
「こらこらこら! お前、おかしなこと口走ってるぞ! ほら、早く帰るぞ!!」
 レイフロがチャーリーの腕を抱えるようにして店の出口へと引きずっていく。背後ではフランクのげらげらと笑う声が聞こえていた。
「あのジョニーをここまで慌てさせるとはな!」



 共に住むアパートメントのドアを開けたところで、チャーリーが二の足を踏んだ。後ろ手にドアを閉じて「あの」とレイフロに切り出す。相変わらず、一見するとまったくの素面でとても悪酔いしているようには見えない。まっさらな顔で、それでもおずおずと言うにはこうだ。
「ただいまの、キスをしても?」
「!!!」
 レイフロは目の前が暗転する気がした。それは喜びのあまりなのか、絶望のためなのかはわからないが。とにかく、くらりと頭が揺れた。
 一瞬、目元に手をあててよろめいたがレイフロは持ちこたえた。こんなチャンスは滅多にあることではないのだ。これを逃しては真祖ヴァンパイアの名が廃る! 普段であれば、嫉妬心を煽ったうえで「キスを!」とさんざんねだって、やっと頬にしてもらえる程度なのだ。それが、なんという棚からぼた餅! 何だか知らんが、神様ありがとう!
 こほん、とひとつ咳払いをして、それでも赤面を抑えることもできずにレイフロは答えた。
「・・・・・・・・・いいぞ」
 内心、welcome! さあこい! と両手をわきわきさせながら目を閉じる。と、手をとられる。指を絡めて、あぁ、チェリーの顔が近づく! と心を震わせたところで、手の甲にふに、と何かが触れた。
 ・・・・・・・・・。
「そっちか!」
 普通、ただいまのキスって手の甲にするものか!? またも目元に手をあてて天を仰ぐレイフロであるが、チャーリーは意を介したふうもなく、ふにゃりと柔らかい笑みを浮かべている。この蕩けそうな笑顔が曲者なんだよなぁと、一気に疲れたレイフロは、失意の元チャーリーの手を再び取りふらふらとリビングへ向かった。

「おかえりなさい!」
 リビングでふたりを出迎えたのは、エプロンをつけたチェリルだった。視線を奥のソファに向ければレイフェルが我が物顔でレイフロ秘蔵のワインを開けている。顔を見せた家主には「邪魔してるぞ」と一声だけだ。お前少し遠慮しろ。とレイフロは心中で罵るが、口には出さなかった。今はもっと優先するべき事項がある。
「・・・だいたい話は見えたぞ」
 チェリルとレイフェルの顔を交互に見てレイフロは嘆息した。
「すみません。チェリーさんが心配で、探しに行こうとしてたところなんです」
 チェリルがすまなそうに小首を傾げた。この愛らしいしぐさだけで、レイフロの中で彼女の罪が軽くなった。まだ具体的に彼女たちが大切なチェリーに何をしたのかは不明ではあるが、いずれにしても重罪はレイフェルの方だろう。ぎろりと殺意を乗せてレイフロは、赤いワインを悠々と味わう美女を睨み付ける。
「レイフェル、てめぇうちのチェリーに何してくれたんだよ」
「あぁ? ちょっと手伝ってもらっただけだ」
「だから何をだよ!」
 どう見たって異常事態なのだ。今だってレイフェルに詰め寄ろうとしているレイフロに、チャーリーは後ろから抱きついて、むしろ羽交い締めにするかたちでしがみついているから、簡単に動くことができない。人前でこんなスキンシップを取るなんて、彼にとってただ事ではないのだ。
「えっと、落ち着いてください!」
 一発触発の雰囲気を見かねて、チェリルが割って入った。
「私がいけなかったんです・・・」
 「チェリルは何も悪くないよ〜」と向こうで猫なで声のレイフェルはこの際完全スルーして、何があったのか話すようにとレイフロは促す。
 つまりはこういうことらしい。
 チェリルは、対吸血鬼用の薬物を共に作ろうとチャーリーの元を訪れた。それ故のかわいらしいエプロン姿。薬物の製造は意外と力仕事で、男手があったほうが便利なのだ。ふたりで苦心して作業をこなし、やっと出来上がった薬物は、摂取させれば吸血鬼が一発KOするほどの強力なものだった。成功していればの話だが。
「ちょっと複雑なレシピのお薬なんです」
 チェリルが言葉を挟む。
 そこで、薬物が正しく作れたか試してみる必要があった。ちなみに人間には効かないのでチェリルが試しても意味がない。そこにはレイフェルもいたが、薬が成功していれば純正吸血鬼の彼女には効果がてきめん過ぎる。
「そこで白羽の矢はチェリーにって訳か・・・」
 お前ら…と呻くレイフロの周囲にどす黒い空気が渦巻く。真祖吸血鬼の怒りは凄まじい妖気を産み出すのだ。相変わらず背後にはチャーリーが張り付いて、怒気を孕んだレイフロに「怒らないでください」とかなんとか宥める言葉を連発しているが、誰のために怒っていると思っているのか。
「ごめんなさい! ちゃんと中和剤も用意してあったのですが!」
 特に変化が見られなかったので、しばらくそのままにして様子を見ることにした。するとチャーリーは「マスターを迎えにいかなくては」などと呟いて外に出て行ってしまったらしい。
 ちなみにどのようにしてチャーリーに飲ませたかというと、レイフェルが彼を羽交い締めに押さえつけて、チェリルが口元に持ってゆき無理に口に含ませたとのことだ………。
「っ!!!」
 レイフロは既に怒りのあまり鼻息荒く文字通り鬼の形相だ。レイフェルに掴みかかろうとするのを、しがみつくチャーリーが辛うじて引き留めている状況。それでレイフロの怒りが薄れるはずもなく手中から突風が生まれた。彼愛用の鞭状の武器が唸ったのだ。ばしり! とレイフェルの足元を叩くのをひらりとかわされる。
「っぶねぇなぁ!」
「ちっ」
 鞭は数度床を叩いたが、すべてかわされてレイフロは舌打ちをする。本来なら、彼の腕前であればレイフェルをうち据えるくらいは簡単なのだが、ここが狭い室内であることと、しがみついてるチャーリーに気をとられて手元が狂うのだ。
「だいたい中和剤があるならレイフェルが飲めばよかったじゃねぇか!」
「てめぇ、私に死ねってのか!」
「ちょっと気ぃ失うくらいどうってことないだろ! 代わりにうちのチェリーがおかしくなってんじゃねえか!」
「いいじゃねぇかよ、大好きなチェリーちゃんに甘えられて本当はうれしがってんじゃないのか?! お前鼻の下が伸びてんぞ!」
「なんだと!」
 ぐるるる、と獣のごとく唸り吠えあうふたりの間に、「まぁまぁ」とチェリルが割って入った。
「今は悪酔いしている状態なので、一晩眠れば元に戻りますから」
「それは間違いないのか?! 確実にチェリーが元に戻ると約束できるんだろうなっ」
「えぇ、まぁ・・・、99%の確率でお約束できるかと・・・」
「チェリル!」
 キッとレイフロが、チェリルを睨む。懐に手を忍ばせたので、新たな得物が出てくるかとレイフェルがチェリルをかばうように前に出た。
「その薬、言い値で買おう!」
「・・・はい?」
 レイフロの手には出来上がった薬を買い取ろうと小切手が握られていた。そもそもレイフロがチェリルに暴力を向けるはずがないのだ。それでも一瞬、言葉の意味が理解できなくてチェリルはきょとりと目を丸くする。先に反応したのはレイフェルの方だった。守るように腕にしっかりとチェリルを抱えてレイフロに咬みつく。
「てめぇ、散々私たちに文句を言っといて手のひら返しかこの野郎!」
「チェリルが保証するってのを信じてやってんだろうが!」
「都合がよすぎんだろ!」
「いいじゃねぇかよ。この状態のチェリーもかわいいんだから」
「開き直りやがったな!」
「あ、レイフェル。それから慰謝料代わりに今の俺たちの写真撮ってくれよな。それで許してやる」
「話を聞きやがれ!」
「まあまあ・・・」
 頭上での言い争いに、再びチェリルが割り入った。瓜二つなこのふたりの喧嘩は、放っておくといつまでたっても終わらないのだ。チャーリーの姿を確認すると、彼はいまだにレイフロに猫の如くべったりと懐いている。自分が元凶の舌戦にはまったく興味をもっていないようだが、それも『悪酔い』している状態(しかも自分たちが飲ませた結果)なのだから仕方がない。
「えぇと、写真と・・・サンプル用の薬剤をちょっとだけお譲りしますね。でもこれを使って後でチェリーさんに怒られても、こちらは関与しませんからね」
「分かってるって♪」
 これですべてが丸く収まるならと、チェリルはレイフロの要求を飲むことにした。
 薬の入った小瓶をレイフロに手渡したところで、さて、私たちは帰りましょうかとレイフェルに笑みを向ける。苦虫を噛み潰したような顔をしていたレイフェルだったが、チェリルの天使のような笑顔を見ればあっという間に表情が蕩ける。が、その表情が再び凍りついた。チャーリーがじゃれついていたレイフロの耳にちいさく囁いた言葉を聞いてしまったのだ。
「ね、マスター。もう、我慢できません。はやく寝室にいきましょう・・・?」
 レイフロが顔から火を吹くのと同時にレイフェルが吠えた。
「てめぇら、キモイこと言ってんなよ、いちゃつくのも大概にしろっ!! チェリルになに聞かせてんだよ?!」
 チェリルも、フォローのしようもなく乾いた笑みを顔に張り付けてフリーズ状態だ。
 固まったチェリルをレイフェルは抱えるようにして退出の挨拶もなしに、部屋をを出ていってしまった。それを見送ることもできずに、レイフロはチャーリーに寝室へと引きずられていくのだった。

 寝室のドアを閉めると、チャーリーはいっそうきつくレイフロを抱き締めた。レイフロもそっとチャーリーを抱き返して背中を撫でる。邪魔者は帰った事だし、まだまだ夜は長い。これからチャーリーを独り占めして楽しめると思うと胸が高鳴った。
「あぁ、マスター・・・もう」
 抱き合いながらよろよろとベッドに倒れ込む。チャーリーの身体に押しつぶされそうになりながらもレイフロはうっとりと笑った。酔った状態のためか、今夜のチャーリーはいつもより体温が高くて、衣服越しにでも彼の温もりをしっかりと感じ取れる。ほかほかとした温かさが気持ちよくて、甘えた声で自分に寄りかかる身体に呼び掛けた。
「なぁ、チェリー」
「・・・・・・」
 呼び掛けに返事はなかった。
「チェリー?」
 重くなった身体を押して揺さぶろうとすると、がくりとシーツに沈んだチャーリーはぴくりとも動かずに寝息を立てていた。
「我慢できないって、 眠 気 の こ と か !」
 散々、人に期待をさせといて結局はこれか! とベッドの上でレイフロが騒いだところでチャーリーの起きる気配はなかった。翌日の朝に、すっきり気分良く目覚めるまでチャーリーは深い深い眠りを貪ったのだった。
 






【後記】


 コミックスのみを読んでる方にはフランクて誰? ですよね。
 ドラマCD『インキュバス〜』のミニドラマ『part-time-job』に出てくるマスターのゲイ仲間(ドラッグな彼氏持ち)、お仕事はホットドック屋さんです。便利なキャラだなぁゲイ仲間(笑)。
 ギャグっぽいお話にしようとしたら、酔っ払いネタになってしまいました。今回も捻りがなくて申し訳ないorz。寝オチもどこかで使ったような(汗)。ま、いっか!
 まあ、内容はどうってことないんですが、今回は勢いで書いたので楽しかったです(^_^)。
 次は、どうしようかな。特典CDを聴いて、何か思い浮かんだらそのネタで書くかもしれません☆


2012.2