JOHNNY |
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今日の帰宅は日が暮れてから随分と時間が経ってしまった。 「ひとりで目覚めるのって結構さみしいんだぞ。目覚めのコーヒーを用意して起こせとまでは言わないけどな!」と拗ねる人を思い浮かべて急いでチャーリーが玄関を抜けると、そこにはレイフロが居た。今日は機嫌がいいらしく遅めの帰宅に拗ねている様子はない。 「よぅ、おかえりチェリー。今日も男前だな」 レイフロがチャーリーに対して外見を褒めるのは挨拶みたいなものだ。曰く、かわいい、かっこいい、ハンサム、ゴージャス、スイート、ファビュラス等々・・・そこにはなんの感情も含まれないだろうとチャーリーは踏んでいるので、彼からの美辞麗句は聞き流すことにしている。いちいち反応していたらきりがないのだ。 実際のところ、毎回レイフロは全力で、本気で、心の底からチャーリーは素晴らしいと褒め称えているのだが(世間ではこれを親馬鹿とか欲目と言ったりする)、毎日何度も繰り返せば言葉の効力はなくなってしまうものだ。もっとも言う方も気持ちを口に出してしまえば満足なようで、相手に伝わってなくても一向に気にする風でもなかった。 「マスターはこれからお出かけになるのですか?」 玄関先で鉢合わせしたのは、何もわざわざ出迎えてくれたからではないようだ。その証拠にレイフロは、ダークカラーのタイトなレザーのコートを羽織り、ざっくりとしたストールまで首に巻き付けている。季節がら、コートを着るのは間違ってはいないが、その下がシャツ一枚でしかもボタンがひとつも留まっていないというのは如何なものかと説教のひとつも垂れたくなる。が、彼の定番スタイルに今更口を挟んだところでどうなることでもあるまい、服装には言及しないことにする。 「うん、ちょっと遊びに行ってくる。身体を動かさないと鈍ってしまうからな」 ふわり、体をうねらせる動きは今時の踊りだろうか。つまりは夜の社交場で一踊りとでも言いたいのだろう。カツリ、踵を鳴らしてぴたりとポーズを決めた姿。普段は散々な不器用ぶりなのに、こういったことには器用なのだなと変に感心したチャーリーはふとレイフロの姿に違和感を覚えた。 未だに姿勢よくポーズを取ったまま動かないでいる、目の前の得意げな顔をじいと見つめる。何かがいつもと違う―――。 自分よりも少し、ほんの少し高いところにある目線にやっと気がついた。 「・・・マスター、成長期ですか?」 チャーリーとレイフロは体格は似ているが、ほんの少しチャーリーの方が上背がある。レイフロはコウモリに変化した際に宙に浮いたりするし、立場上チャーリーが膝を折ることもしばしばあるので、見上げるのは珍しいことでもない。だが、ふたりが普通に立った状態で並べば目線は自分の方が若干上に来るのだ。 「お、気がついたか?」 ひねりのない揶揄を受け流して、にんまり笑うとレイフロは壁に背をもたれさせ、見せつけるように片足を上げた。腰の高さまで上げられた足元を見て、ああ、これのせいかとチャーリーは納得する。 踵の高いブーツはレイフロに似合っていた。それは皮製品独特のぬめりある光沢を放ち、ぴったりと引き締まった足首の上までを覆っている。ヒールが6、7センチはあるように見えるが作りは華奢ではなくどう見ても紳士用のデザインだ。シンプルながら玄人が好みそうなそれはレイフロだからこそ履きこなせているのだろう。服飾に疎いチャーリーでさえ、誰にでも似合う代物ではないと思えた。 「似合うか?」 それはもう。 下ろして組んだ脚はすらりと伸びて、いつもより高い位置にある腰に続いている。細めのパンツを履いているせいで筋肉の発達した、けれども太くない長い脚の形の良さがくっきりと見てとれる。ただでさえバランスのとれたプロポーションが、高いヒールによってより強調されて目立ち過ぎるのではないかと些か心配になる程似合っている。この足でキャットウォークさながらに街を歩けば、さぞ多くの人間が振り返ることになるだろう。 「えぇ、まぁ。そのデザインは自前で?」 似合っているかどうかの問いには返事を濁す。レイフロの「挨拶」と違って美辞麗句を口にするのは苦手なのだ。代わりに流れるようなフォルムを問うことにした。 レイフロはヴァンパイアの能力によって姿を変えることができる。その能力は便利なもので、身に付ける服やアクセサリーまで自在に変えることができるのだ。つまり、今履いている靴は能力による産物なのかとチャーリーは聞いた。服はいつもの黒いシャツにぴったりとしたローライズのパンツ、と似たものが多いのに、アクセサリーには変にこだわるのか凝ったデザインを身につけていることが多いレイフロだ。 「いや、これは貰い物」 「・・・・・・そう、ですか」 何をあっさりと「貰い物」と言っているのかこの人は?! 一瞬思考が停止して、その後取り繕うように相槌を打ったが、うまく誤魔化せただろうか。ちらりと心の底に湧きあがった黒い感情を。 こちらが体裁を整えるのに四苦八苦しているのを余所に、レイフロは貢がれた靴の説明などを始める。 「なんかさ、このブーツ、俺の名前と同じなんだって」 『JOHNNY』と名付けられたそれはチャーリーでさえ知っている高級サロンの商品だった。おそらくブランドの名に負けないだけの値札が付いていたであろうその靴を贈るとあれば、贈り主はさぞやレイフロにご執心なことだろう。 だがその事実よりもチャーリーを苛んだのは、品物が靴であったという点だ。 靴を贈るなど、一般では親しい間柄でしかあり得ない。第一、サイズを知らなければ購入できないし、用途を考えれば履き心地も試してから手に入れたいところだからだ。とすればレイフロは誰かとこの靴を買いに出かけたのだろうか。高級サロンの並ぶストリートを誰かと連れ立って歩き、店内でゆったりとソファに腰掛け、かしづかれて靴をフィッティングさせられる様子を想像してチャーリーは目眩がした。マスターの足に触れることができるのは自分だけなのだ! 「チェ〜リィ?」 チャーリーの心中が嵐なのに気が付いていないのか、レイフロは呑気に顔を覗き込む。 「なんか顔色が悪いぞ。疲れてるのか? なんなら出掛けるのはやめにして食事にしてもいいが・・・」 「結構です!」 つい声を荒げて、差し出された手をはたき落してしまった。頭に上った血が一瞬冷える。 自分は何をやっているのだろう。レイフロには友人が多い。その中には所謂セレブリティと呼ばれる人種も多数含まれるのは分かっているつもりだ。その中のいくらかが魅力的なレイフロの寵愛を掴み取ろうと躍起になったとしてもなんの不思議もない。元々ヴァンパイアとは搾取する者なのだ。たとえ血液を奪わなかったとしても、相手の持っているものを掠め取るのは習性といってもいい。存在の意義を否定することはできない。それを責めるのはむしろチャーリーの我儘だ。 「どうぞ、行ってください。私は、ひとりで考えたいことがあるので」 早くひとりになりたくて、レイフロに出ていくようにと促す。これ以上近くにいたら、抑えている暴力的な感情が溢れだして、その優美な靴を力任せに剥ぎ取ってしまいそうだ。レイフロを押し倒して脚を掴み、靴をむしり取る。晒された素足は白磁のように滑らかなのを知っている。そこに牙を突き立てると溢れ出る血液のとろりとした甘さ。身体の末端から食するのは、中心部から食べる時とは風味が変わる。どちらも美味であるには変わりないが。 脳内のヴィジョンが深紅に塗り潰されたところで、チャーリーは妄想を追いやるように軽く頭を振った。 レイフロはまだチャーリーを気遣って外出をやめると言い張ったが、頑なに勧められて後ろ髪を引かれながらも部屋を後にした。 ひとりで部屋に残ったところで気持ちが落ち着くわけもなく、何も手につかなかった。 仕方がないので寝てしまおうと、半ば不貞寝の様相でベッドに入ったが頭はもやもやと黒い渦が巻いているようだ。気持悪い感情を吐き出そうと、何度もため息のように大きく吐き出すが、気持ちは一向に軽くならなかった。 今頃マスターはクラブにでも繰り出してその身を揺らしているだろうか。薄暗く、光が大きく点滅する空間で、大音量がフロアを揺るがす。 踵を鳴らしてステップを踏む彼の隣には誰がいるのだろう。 揺れる身体に誰かが腕をまわすかもしれない。いや、レイフロ自ら誰かに腕を絡めることだってあり得る。チャーリーはうつらうつらと出口の見えない思考に捕らわれながら目を閉じる。見ているものが夢なのか、自分の想像であるのかさえ曖昧になる。 きしりとベッドのスプリングが鳴ったのはどのくらい時間が経ってからだろう。ひんやりとした指が髪を撫でて、意識がゆっくりと浮上していく。 「・・・マス、ター・・・・・・」 「ただいま、チェリー」 いつ帰ったのか、レイフロはコートもストールも身に着けていない。いつものシャツスタイルだ。ベッドの端に腰掛けていたレイフロが身を伸ばして、子供にするようにチャーリーの頬にキスをする。片膝をベッドに乗せる格好になった彼の足を、腿からなぞって膝、脛と手で辿る。外出から戻ったばかりなのだろうか、脚は冷え切って氷のような冷たさだ。タイトなパンツは彼の脚にフィットして筋肉の張りをダイレクトに手に伝える。チャーリーは自分の熱を分けるようにレイフロの脚をさする。 くるぶしに手が触れた。レイフロは裸足であった。 「? ・・・何故、靴を履いてないのです?」 疑問に、急に明瞭になった意識で尋ねる。 「ん〜。リトルギャングに奪われた」 「?」 レイフロの話はこうだ。 特にあてもなく、良さそうな店があれば入るつもりで夜の散歩に出かけた。気まぐれでいつもは行かないブロックを歩いてみることにしたのだ。意外と知らない路地は楽しくて、奥へ奥へと入り込むといつしかそこは寂しげな路地裏だった。 レイフロは不意に足を止めた。 背後には数人の気配。レイフロが振り返ると気配が間合いを詰めた。そのうちの一人が言ったのだった。「怪我をしたくなかったら、金目の物を置いていけ」。 「で、素直に追い剥ぎにあったと?」 チャーリーはため息を吐いて先を促す。レイフロが人間相手に危険な目に遭うなど考えにくいので、心配は一切なしだ。 確かにレイフロに襲いかかろうなど、むしろ相手の身の方が心配なくらいだ。ただし相手が大人であれば。 声を掛けてきたのは10を超えたくらいの子供たち6人であった。 レイフロはその時首を傾げた。戯れに持参している財布の中には数十ドル。置いていく「お小遣い」にしては、はした金だと思ったのだ。 「で、価値があるであろう靴とコートなどを自ら脱いで与えてきたと?」 「だって、この寒空の下ボロい服着てさぁ。あったかい飯くらいには換えられるだろ? それにこんな事をするのはかえって危険だからやめろってちゃんと説得もしてきたし」 ついでにお兄さん(おじさんじゃないぞ!)のストリップまで見れて、あいつらラッキーだよな! とからりと笑う。あ、ちなみにちょっと浮きながら帰ってきたから足は汚れてないぞ。部屋は汚してないからな! とおかしな弁明。 ・・・本当に子供にはやさしい人なのだ。 ベッドの上で、チャーリーはあきれたように首を振った。そしてレイフロに両足をベッドに乗せるように告げると、先刻まで焦がれていたくるぶしを両手で包みこんだ。 「こんなに冷えてしまってるじゃないですか」 「別にこれくらい平気だって・・・」 やわやわとくるぶしから踵、土踏まず、爪先と血の流れを良くするように揉みこむチャーリーに、レイフロの顔が少しずつ上気していく。 あの靴、と俯いたチャーリーが零した言葉は足の甲に落ちた。 「・・・あの靴、お気に入りだったのではないですか?」 爪先を両手で包みこんで、じっとそこを見つめながらチャーリーが問う。 レイフロは一言だけ返したのだった。 「別に。俺が大切なものなんて、この世にひとつしかないだろう?」 |
【後記】 なんか、ね。チェリーに嫉妬してもらおうと思って書いたんですが、嫉妬する経緯っていうか、妄想がすごくてチェリーの脳内がギャグっぽくなってしまったのはどういうことなんだろう(^_^;)。 そして話の流れが、前回書いたものに似てるとか! 自分の想像力のなさに情けなくなりますね〜。とほほ。 靴については、「イヴサンローラン」「ジョニー」で検索していただければ画像など見れるんじゃないかな。 相変わらず不親切な案内でゴメンナサイ(^_^;)。ちなみにマスターの中の人とかが履いたら似合うんじゃないかとこっそり思ってます。 っていうか、この靴のミューズ(男性の場合はミューズとは言いません/笑)はマスターですよね? そういうことでいいですよね??? 2011.12 |