rebirth
※アルフォード邸から脱出後の捏造話※



 今夜何度目かの寝返りを打って、チャーリーは胸につかえている息を吐き出した。横臥するベッドは使い慣れた物であり、皺なく敷かれたシーツは洗濯したばかりで清潔なせっけんの香りがする。部屋もエア・コンディショナーで快適な温湿度に保たれて深い眠りに就くには申し分がないはずだった。
 それなのに、どうしても落ち着いて眠れない。寝付きは最悪だった。
 もう一度寝返りを打つ、そうしたところで眠れないのは分かっていた。

 南仏のアルフォード・ウエイン邸からサクラメントに帰ってきてからというものレイフロはとても優しく穏やかに接するものだから、チャーリーは困惑をせざるを得なかった。
 レイフロがもともと穏やかで優しい要素を持っているのはチャーリーも重々に承知している。けれども彼はそういった性質を表に出すタイプではなかった。
 最初は、複雑で精神的にダメージを受けた事件と多大な疲労を伴う後始末(とくにヴァチカン関係へのフォローは想像以上に難航をきたしたのだった)への労わりの意味があるのかとも考えたが、それは違ったようだった。
 レイフロがチャーリーに見せる優しさは、何かを諦めたような、距離を置くような余所余所しさを感じさせる優しさだった。そして時折見せる困惑したような物言いたげな表情。
 チャーリーはレイフロが何かを隠しているのではないかと疑い始めていた。

「………っ」
 がばりとそれまで包まっていた掛け布を剥ぐとチャーリーはベッドを降りた。この時間ならレイフロは起きているはずだった。出掛けているか、家の中にいるか。そのくらいは能力を持ち合わせないチャーリーでも気配を探れば分かる。
 こんな風に鬱々と思いを巡らすのはごめんだ。一人考えても答えが出ないのであれば本人に問いただせばいい。素直に答えてくれるかどうかは分からないけれど。何も言わずに目の前から姿を消されるのはもう嫌だった。
 一番失いたくないものが何であるかを知ったチャーリの行動は明確だった。
 チャーリーはサイドボードからそっと眼鏡を取ると寝室を後にした。



 リビングに行けば、やはりそこにはレイフロが居た。照明をいくつか落とした薄暗い部屋の中で音量を絞ったテレビを、ソファに寛ぎながら見ている。テレビの画面には観光番組なのかどこか異国の美しい風景が映し出されていた。ソファの前のテーブルにはスコッチの瓶とグラス。
 それは同居してからのいつもの夜の風景で、チャーリーは自分が何か思い過ごしをしていたのではないかと複雑な気持ちになった。レイフロは何も隠し事などしていない。自分は少し今回の件で疲れていたからネガティブな発想に捕らわれていたのではないか。
「どうした? 眠れないのなら一緒に飲むか。こっちにおいでクリス」
 慈しむような、甘くふやけるような笑顔のレイフロの口から零れた『クリス』―――。滅多に口に出すことのない本当の名前で呼ばれ、チャーリーは心配事を思い過ごしにできなかった落胆に肩を竦めた。
「そうですね」
 リビングを突っ切ってキッチンへ向かい中身の碌に入っていない食器棚からグラスをひとつ取る。レイフロが屋敷から持ち込んだ美しいカットのグラスはひんやりとしていて掴んだ手が心地良かった。
 だらしなくソファにしなだれていたレイフロに触れない位置に腰をおろし、持ってきたグラスに注いでやろうと身体を起こしかけたレイフロを制して瓶を傾ける。琥珀が触れるとグラスに入れておいた氷が軋んで涼やかな音を立てる。スコッチの琥珀と溶けた氷がゆるくマーブル模様をつくって混ざり合っていく。
 テレビの画面にはまださっきと同じような風景が映し出されていた。青い空に碧い海。そこに眩しい程の白い壁をした建物達。部屋の照明を落としているせいで画面が反射してレイフロとチャーリーをちらちらと碧く発光させるかのよう。
 二人ともしばらく無言でテレビを眺めながらグラスを傾けていたが、やがて「ん」と身動ぎしてレイフロがチャーリーの膝に頭を乗せてきた。わざと牽制するように触れない位置に座ったというのに、その距離をあっけなくレイフロはゼロにしてしまう。膝に頬を押しつける甘えるような素振りがチャーリーの不安を増幅させるけれども、寄せられた身をそのままにするのも大人げないようで膝の上の黒髪をくしゃりと梳いた。瑞々しい髪は相変わらず夜の匂いがする。ほう、とレイフロが満足気な息をつく。
 愛の告白をされているようだな。滑稽な思いつきがチャーリーの頭をかすめる。自分達がこんな風に触れ合う事は珍しいことではないけれど、今まで思いもよらなかった。こんな甘える素振りはまるで全身で「好き」と言っているようだなんて。レイフロは決して本気の気持ちを口に出して伝えようとはしない。いつも掴みどころがなくて突然チャーリーの手をすり抜けるように居なくなってしまうこともあるけれど、今の彼はまるでしがみついているようにも見える。
 そのしがみつく仕草の真意が知りたくて、いつものように軽口も言わずに髪を梳かれては猫のように気持ちよさそうに目を細めているレイフロに口を寄せた。癖のある髪を撫でつけて耳に掛け、あらわになった耳元に、内緒話をするようにそっと切り出す。
「マスター。何か言いたいことがあるのでしょう?」
 目を細めたままレイフロの眸は相変わらず闇の色を写したままで、反応はなにもなかった。チャーリーも答えを急ぐことなく、再び髪を撫でる。少し指が震えてしまっているのがレイフロに伝わってしまっているだろうか。
 ゆっくりとレイフロは身を起こすとグラスを呷り少しだけ残っていた液体を飲み干す。こくんと嚥下した音が艶めしくて、テレビの碧を反射する白い喉に見惚れていると「ちょっと待ってな」とだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。



「チェリーにお土産だ」
 部屋に戻ってきたレイフロの手にはちいさな瓶がひとつ。受け取ってみると、飾り気のない緑色のガラスの瓶の中には黒っぽい液体が半分ほど入っていた。何かの薬だろうか?
 何の薬なのか、どういうつもりでチャーリーに渡したのか。真意を計りかねて見上げるとレイフロは小瓶を取り上げ蓋を開ける。特に異臭はなく、やはりなんの薬品なのか想像もつかない。それから小瓶と一緒に持ってきた金属でできたケースを開け、そこに収納されていた注射器を手際よくセットして薬品を注射器の中に納めてしまった。最後にピンと指先で器具を弾き空気を抜く。
 なんの戸惑いもなくしっかりとした手つきで器具を扱うレイフロはまるで名医であるようにも見えるが、チャーリーはその薬品(注射器に納めた時点で間違いなく薬品だろう)が何であるのかを聞いていない。「チャーリーに」というのだから、まさかレイフロが摂取するものであるとも考え難い。得体のしれない物体にチャーリーはぞくりと背筋が粟立つのを感じた。
 注射器をテーブルに置き、ソファに座るチャーリーの目の前にレイフロが足を折り膝をつく。真祖であり、チャーリーのマスターである彼が膝をつくなどという事は滅多にないことだった。まっすぐにチャーリーを見据えたレイフロの表情は真摯なものであり、先程までの艶を含んだ甘えた雰囲気は霧散していた。
「これは、アルフォードの研究所にあったものだ」
 一語一語をしっかりと区切りながらレイフロは言葉を続ける。
「やつは吸血鬼に関するあらゆる研究をしていた。『vassalord』は人間を人工吸血鬼に変える薬だ。であれば研究者の性として、その逆も作らずにはいられないと思わないか?」
――― つまりは、吸血鬼を人間に変える薬を。

 ごくり、自分が唾を飲み込む音が耳元で大きく聞こえた。思いもよらない品物を目の前に出されて意識よりも先に身体が反応した。それはチャーリーが1世紀以上欲しいと願ったものだった。
 緊張に指先が麻痺して、思わず目の前のレイフロの腕に縋りついた。歯が震えてカチカチと音を立てる。呂律もよく回らない。
「つまり、これが―――?」
 レイフロが首を縦に振る。
「おそらく一人分。持ち出せたのはこれだけだ。これをvassalordと同じように動脈に注射すれば効果は出るだろう。ただし、150歳近いお前が摂取すれば人間に戻れたとしても生きていけるはずもない。すなわち摂取の先に待っているのは即、死、だ。けれども魂は救われる。お前に似合う白い世界に逝ける―――」
 お前が心から望んでいたことだ。



 震える手に渡された注射器は何の変哲もないただの医療器具で、けれども魂の浄化を約束してくれる。
 迷える子羊のように行くべき道が分からなくなったチャーリーは縋るように、救いを求めるようにレイフロを見つめるけれど、穏やかに別れを切り出されただけだった。
「最後に、お別れのキスがほしいかな」
 いつもの軽い調子でレイフロが告げる。けれどそれが本心ではないとチャーリーは知っているはずだった。
 ならば。
 レイフロの望んだキスもなしにチャーリーは立ち上がるとキッチンへ向かった。緊張から足元がふらふらと覚束ないが、決心はすでに「あの時」したはずだった。なにも迷うことはないはずだ。レイフロはポーカーフェイスを決め込んでチャーリーの背を見守るだけ。
 チャーリーはシンクにもたれるようにして注射器を見つめた。そして目を瞑る。意識を心の深く深くに集中させる。自分が欲しかったもの、望んでいたもの、失いたくないもの、大切なもの―――。どれだけ自分の心に聞いてみても答えはひとつしか見つからなかった。
 これから自分がすることを、悔いることは絶対にないと。


 パキンッ

 それはあっけない程に頼りない音を立てた。
 真っ二つに折れた注射器の中身をシンクに捨て、水道のレバーを引くと溢れ出た水に暗い色をした薬剤は溶けて排水溝へと流れていった。後悔のないように、念の残らないように一滴も薬が残らないように注射器にも水をあてて洗浄をする。
「後悔しないのか?」
 いつの間にかキッチンの入り口に佇んでいたレイフロがいつかのように問いかける。その顔はどこかほっとしているように見えた。
「今度こそ、後悔しないと誓いますよ。私の答えなんて、本当は最初から分かっていたのでは?」
 クスクスと込み上がる笑いを止めずに蛇口から溢れ続ける水でチャーリーは最後に手を洗った。
「さて、これでもう私に隠していることはないでしょうね? すっきりしたことですし、飲み直しましょう」
 






なんか、ちょろっと書くにはテーマが重かったorz
もうひとつ書いている短文がどうにも仕上がらないので急遽思い付いたネタを書いたのですが、どうでしょう。甘くなったかな。
これからvassaの原作はどういう展開が待っているのか分からないのですが、仮にチェリーは吸血鬼をやめるチャンスがあったとしてもレイフロを選ぶんじゃないかな、と。そんな期待を込めて書いてみました。
あと毎日暑いので涼しい表現を入れてみたかった。エアコンをがんがん入れてスコッチのロックとか舐めながらのんびり映画でも見たいよ!

タイトルが分かりにくいのですが、「人生の再出発」=「再生・蘇生」=「rebirth」としてみました。いつもながら適当に付けたので英単語が合ってるか不安だわ(笑)


2011.07