sandglass



 くすん、くすん、と駄々を捏ねるような泣き方。
 子供特有の甘い泣き声は、こちらの神経を逆なでるようなことはしない。むしろ優しさを引き出す効果があるのか。
「眠いのだろう、クリス?」
 何故だろう、眠くなると機嫌が悪くなる子供。普段は聞き分けのいいこの子がわがままを言うのは眠いのに眠りたくない時だけ。こんなに小さくて時間はたくさんあるというのに何がそんなに惜しいのか。
「ますたぁ、ねむくなんかないよ。もっと外で遊びたい」
 睡魔に襲われ今にも瞼が落ちそうなのに、そんなことを言う。
「ほら、夜が明けるぞ。もう眠らなくては。おいで。一緒に寝よう」
 いまだぐずぐずと言う子供をひょいと抱え上げて、そのまま昔どこかで聞いたことのある子守唄を口ずさむ。
 すると間もなく聞こえてくる規則的な寝息。
 まったく仕方のない子だ。でも寝顔はひどくかわいらしい。
 そんなことを思いながら子供を抱えたまま棺に横になる。
 おやすみ。クリス。







 目を開けると自室のベッドだった。
 部屋の中は暗く眠る前の暖かさがほんのりと残っている。
 当たり前だ。一緒に寝ようとか、おやすみのキスをしろなどと纏わりつくマスターを退けて、なんとかベッドに入ったのはつい先程のこと。 眠ったと思ったらすぐに目が覚めてしまったようだった。
 ふと周りを見渡して確認するも当然ここは誰もいない自分の部屋。
 夢だろうか、誰かが耳に心地よい歌を歌っていたような気がしたのだが。―――夢?
 このままもう一度眠りに就こうと、体を横たえて目を閉じるが意識の奥の方で何かがざわついて目が冴えてしまう。先程「うるさい」「鬱陶 しい」と退けたばかりだというのにマスターが恋しくなる。気配を探るとリビングの方に穏やかな彼の存在を感じた。大丈夫、彼はここにいる。



 ちらちらと砂が混じるテレビに映されているのは一昔前のサイレント映画。それを肴にソファに横になりながらちびちびとグラスの中のスコッチを舐める。エアーコンディションの効いた部屋は冬でも暖かく心地良いが、やはり氷だけを入れた酒は喉だけを焼いて体を冷えさせる。
 恒例になったチェリーが寝る前の一悶着を済ませリビングに戻ると、先程の騒がしさが一転して静けさが身に沁みる。
 音の出ない映画がいけないのだろうか。でもチャンネルを変えようという気にはならなかった。
 字幕を追うでもなく、なんとなく画面を眺めていると昔の事が頭を過っていく。たしかこれは上映当時に映画館で観た事がある。あれはどこの街どの時代だったか―――。映画の内容をみると100年くらい前のもの、とすればクリスが吸血鬼になった後、自棄になった自分が各地を転々としながら派手に過ごしていたあの頃だろう。自分にとっては一昔という感覚だが、世間で1世紀前といえば随分昔の事になるのだろう。映画に登場している俳優たちはとっくにこの世から消えているはずだ。
 テレビ画面にちらつく砂が、過ぎていった時間となって自分の中に積っていくようだ。100年分の砂がしんしんと積っていく。体が重くなる。
グラスの中の氷が溶けてコロンとクリスタルのグラスを鳴らせた。そういえば、映画はモノクロからカラーに変わったというのに酒の色は昔から変わらない。自分の記憶の色はどうだろう。随分と色あせてしまって、思い出せない事の方が多いような気がする。
「考え事ですか?」
 はっと我に返って体を起こす。思った以上に深く思索していたようで、クリスが部屋に入って来た事にも気がつかなかった。グラスの中の、氷で薄くなった酒を床に零してしまう寸前だった。チェリーはこちらがぼんやりしていたのを気にして窺うような視線を投げてくる。
「眠ったんじゃなかったのか?あんなにヒドイ事を言って俺を寝室から追い出したのに」
「すみませんでした。なんだか寝付けなくなってしまって」
 意外と素直な返事が返ってきて思わず眉を上げる。おやおや、チェリー君は弱気になってるのかな?眠れない夜というのはいろいろな事を考え過ぎて後ろ向きになってしまうものらしい。それとも働き過ぎて疲れているのか?
「それで、心配ごとでも?」
 ぼんやりしていた事を指して心配症の息子が再度聞く。
「いや、昔の事を思い出していただけだ。おいで、眠れないのならテレビでも見ながら酒を飲もうぜ」
「酒はいりません」
 昔の事、というところでチェリーは砂を噛んだような顔をして、想像通りというか酒の誘いを断る。でも迷うことなくこちらにやってきてソ ファの隣に腰を下ろす。体が触れているわけではないが、さっきまでベッドにいたであろう身体からほんわりと体温が移って酒に冷えた体を温める。やっぱり今日のチェリーは素直じゃないか?
「・・・・・・・・・」
 そのままお互いどちらも口を開かないでテレビの画面を見つめていた。何かいつもみたいに軽口をとも思ったが、せっかく今日はチェリーが素直な事だし心地良い事も確かなので余計なことはやめた。さっきまで身体を重くしていたちらつく砂はもうレイフロを煩わせることはなかった。
 そっと膝に重みが加わる。
「チェリー?」
 膝に重みを加えているのは綺麗な金色の髪を持つ形のいい頭で。
 驚いてレイフロの腿に頭を乗せてきた相手に声をかけるが返事はない。「おぉい、どうしちゃったの?眠いのかな?」と覆い被さるようにして顔を覗き込む。はし、はし、と瞼がゆっくりと閉じて開く。眠いのに無理してテレビを見ている瞼の重そうな顔に、声はなんとか抑える事ができたが笑ってしまった。子供みたいだな。
 上体をこちらに倒しているせいで、長い脚が収まり悪そうに落ち着く場所を探してもぞもぞと動く。脚もソファに乗せてしまえばいいのにと思うが声をかけると眠りに入るのを邪魔してしまうだろうと黙っておく。その代わりに触り心地の良い頭を撫でた。
 いつの間にか、聞こえてくる規則的な寝息。
 おやすみ。クリス。
 






  「ますたぁ!」
 よく眠ったのだろう。寝起きのいい子供は起きた途端に大きな声を上げて俺を驚かす。
「モーニン、クリス?」
 外はすっかり日が落ちたというのに他に思いつかずにそんな挨拶をする。そっと寝ぐせのついた髪を直すようにクリスの頭を撫でてやりながら。
「あのね、ますたぁがクリスの頭をなでてくれてたの!」
 目を輝かせながら言うが言葉が間違っている。過去形と現在進行形は子供の頭では混乱してしまうのだろうか?
「今、撫でているから『なでてくれてる』だな」
 訂正してやるとクリスはふるふると頭を振る。
「ちがうの!おっきいクリスをますたぁがなでてくれてたの!」
「―――へぇ、夢の話か。随分色っぽい夢を見たものだな」
「いろ―――?」
「いや、なんでもない」
 きょとんとしたクリスの顔を見ながら「おっきいクリス」を想像してみる。大人になったクリスを。もちろんそんなに先までこの子と共に居るつもりはない、数日後には別れる決心もしている。あり得ない未来の話だが、大人になったクリスも今と同じように愛らしいのだろうか自分をマスターと呼ぶのだろうか、クリスは成長して大人になっても自分は今のままの姿なのだなと想像して笑ってしまった。まったく、あり得ない。

「夢の話は終わりだ。さぁ、腹が減っただろう?」
 やはりここにはカビの生えたパンくらいしかないが。それでもクリスはうれしそうな顔をしてもぞもぞと起きるのだった。







夢を見ているのは私か、蝶か?みたいな話になってしまいました。陽のもとに新しきものは無しですね(言い訳)!
捻りがなくてスミマセン。
でも膝枕ですよ、膝枕!
きっとマスターの膝は堅いと思いますがそんなことは気にしないんです。
そして今回チェリーが素直すぎるのは、寝惚けていたのと過去のチビクリスとリンクしてたってことで!


2011.3