step on a dish
※5巻特典CDのネタばれ注意※



 チャーリーが右腕で軽く腰を抱いて左手で向かい合った右手を取ると、レイフロは背筋を反り気味にして左手をチャーリーの肩に添えた。
 シンプルな寝室には、華やかで軽やかな音楽が流れている。
 ロマンティックな曲が流れお互いの息が触れ合うほどの近い距離で身を寄せているというのに、チャーリーはというと自分の足元を睨みつけていた。ずっとずっと、眉を顰めて、とても怖い顔で。
 それでも足はステップを踏み、身体は円を描くように揺れる。廻る。
 レイフロはしかめっ面を余裕気に見てカウントを取る。
「un deux trois…, un deux trois…」
 三拍子。
 ワルツの曲に合わせて歌うように流れる声も、チャーリーの耳に入っているかどうか怪しいものだった。彼は自分の足の動きに全神経を集中させていたのだから。
 くるり、ターンをしたところで曲が終わった。チャーリーはほおっと息を吐いて抱いていた腰から手を離すと、レイフロはリードされていた手を引き寄せてそのまま口元へ寄せて、女性に、まるでお姫様にするようにキスを落とす。手の甲にキスをされた方はちょっと困った顔をした。それを見て気を良くしたレイフロは、手を離さずににやりと唇を歪ませて評価を下す。
「50点。ステップを間違えなかったのはいいとして、ダンスをしている間ずっと足元を確認してるやつがいるか。ムードもへったくれもない」
「そんなことを言っても…。知っているでしょう。ダンスは苦手なんですよ。もうこれで終わりにしましょう」
 やなこった。
 諦め気味に逃げようとする息子をそう簡単に離してなんかやらない。何事も習得には忍耐が必要なのだ。くっと握った手を寄せてにっこりといい笑顔を向ける。
「知っているから、パパが親切に教えてやってるんじゃないか。 かわいい息子が社交界にデビューして恥をかかないようにだな」
「デビューしません」
「そうなの?」
「しません」
「えー」
 ばっさりと切られたってなんのその。レイフロは気にしない。
 社交界の話は置いておいて。それでもワルツをマスターしたいと思ってるくせに。チャーリーの思惑を見透かして思う。それは踊りたいというよりも踊れなくて悔しかったからという理由なのだろうけれど。
 先日の事件―――ロレッタと一晩過ごしたあの時に、チャーリーはワルツをこなすことができず、実はすこし屈辱を感じていたようだった。子供に「苦手なようね」なんて言われたのだから負けず嫌いなチャーリーが悔しいと思うのも当然かもしれない。それならばいい機会だから教えてやろうと更に負けず嫌いを煽りに煽ってレッスンをすることに成功したのが今日のこと。かわいい息子と踊れるのであればとレイフロは至極ご機嫌だった。すでに数曲をこなして二人ともうっすらと汗をかいている。汗を拭うために首にタオルを掛け、ミネラルウォーターのペットボトルに口を付けて休憩するチェリーはさながら爽やかなスポーツマンだ。
 その姿にうっとりと見惚れかけて慌てて首を振る。違う、違う。まぁ、ダンスもいわばスポーツみたいなものなのだが、それはいいんだが…。ちょっとだけレイフロには物足りないのだ。そう、ムード。ムードが足りなさすぎやしないか? 俺はもっとチェリーといちゃいちゃしたいぞ。こう、踊りながら見つめ合って微笑みあって頬を染めるような…、って少女趣味すぎるか? いやいや恋する(?)男が少女趣味になって何が悪い。
 頭の中がピンクの花園になりかけるのをコホンと咳払いひとつで現実に戻りレイフロは尤もな口実で続きを促す。
「ステップは完璧に頭に入っているんだから、あとはリズムにのってにっこり笑いながら相手の顔を見れば合格だぞ。せっかくだからもうちょっと練習してマスターしてはいかがかな、 My Prince?」
 ロレッタが呼んだように「王子様」と呼びかければ
「……それでは仰せのままに。 My King」
なんて仕方なさそうに返してくる。『My』King だなんて、以前ならこういうやり取りであったって絶対に言わなかったのに。最近のチェリーはほろりほろりと素直な顔を覗かせるものだからかわいくて堪らない。こんな風に一緒にワルツを踊る日が来ることもちょっと前までは想像もつかなかった。随分と成長したもんだな、そんなふうに幸せに浸っていると、練習の成果か慣れた手つきでエスコートされる。
 チャーリーとしてもダンスを覚える事に異存はなかった。滅多に披露する場面に遭遇するとは思えないが、覚えておいて無駄になるものでもない。なにより子供にできるのに自分にできないということに若干自尊心を傷つけられた。ちいさなロレッタがレイフロと楽しそうに踊る姿が脳裏によみがえる。実に面白くない。
 面白くないのはワルツを踊れないことではなく、たとえ愛らしい子供であったとしても他人と楽しく踊るレイフロであるとは、まったく、これっぽちの自覚もなしに、エスコートしている腰をしっかりと抱える。
 自覚はなくとも意識の下では強く望んでしまう。こうして抱え込んでしまえばレイフロは他の誰のものでもない自分だけの『王様』でいてくれる。これだけ近い距離に居れば瞳だってチャールズ以外のものを映さない。いつもこうして抱えていられるならば誰にもこの人を触れさせずに済むのに。あぁ、なんて欲深。それでもチャールズは『王様』がただ自分だけのものであることをひたすらに願ってしまう。
「ちぇ〜りぃ?」  呼ばれてはっと意識が浮上した。ダンスの型を構えたまま考えに沈んだチャーリーに意地悪くツッコミを入れる。
「何かイヤラシイこと考えてた?」
「っ、考えてません!」
 瞬時に朱の走った顔に、今度はレイフロの方が目を大きくした。あれれ図星だったか? なんて追求してもものすごい勢いで「違います!」と否定されてしまうけれど。
「わかった、わかった。じゃぁ、踊ってみようか?」
 いつまでも押し問答を続けても埒が明かないので、くすくす笑いながら話を切り上げると手の中のリモコンボタンを押す。
 CDプレーヤーからゆったりとした曲が流れ始めた。最初に踏み出す一歩はゆったりと。
「ちゃんと相手の顔を見て、だぞ?」
 念を押すと、こくりと頷くチャーリーは、顔をレイフロに向けてはいるが瞳がどこも見ていない。きっと頭の中で足の動きを確認することで忙しいのだろう。それでもぎこちない動きではあるがリズムにのってステップを踏み、くるりくるりとターンを繰り返す。
 しばらく踊るうちに感覚が掴めてきたのかチャーリーの身体からは緊張が抜けて、動きがスムーズになってくる。
 最初はゆったりとしていた足の動きも、曲が進むにつれてメロディと一緒に速度が増していく。くるり、くるり。器用ではあるが仏頂面な王子様はほぼステップをマスターしたらしく、しっかりとした足取りで、エスコートするレイフロの体をぐいぐいとリードしていった。スピードののったターンは遠心力がかかりレイフロの上半身は反れてなびく髪がひゅうと空を切る。メリーゴーラウンドのように部屋の景色がくるくると廻って、ふわふわと浮上する気分は酒を飲んでもいないのにほろ酔いのようだ。楽しい。レイフロは口笛でも吹きたい気分になった。ワルツを踊るのはロレッタの件以外では、随分久方ぶりだった。だが遠い昔の記憶を辿ってもこれほどの愉悦を感じたことがあっただろうか。
 あまりに愉快な気分になって、チャーリーの肩に添えていた手に頬を乗せるようにして反り気味だった半身を飛び付かせれば、密着した身体から僅かに汗の匂いが立ちのぼる。目の前にある首に噛みついてやったらどんな反応をするだろうか、なんて思いついた悪戯ににまにましていると、流れるようだったステップがスロウダウンして、やがて止まってしまった。曲は踊り手の都合などお構いなしに優美なメロディを部屋に流し続けている。
 足はぴったりと床に縫いつけられたかのように動かない。ただふうふうと弾む息を整えているチャーリーに、なんとなく未練がましくしがみついていても、ダンスが終わればいつもならさっさと解かれる腕はそのままで、ついでにお互い触れ合う程の距離にあった頬が甘えるようにすり寄せられて珍しい事もあるもんだなと思う。ロマンチックなワルツに酔ったのは俺だけじゃない? なんて甘い期待をしてしまう。
「おい、チェリー?」
 それでも止まってしまった動きを怪訝に思い顔を覗きこめば、意外にも思いつめた眸にぶつかり「どうしたんだ」と尋ねようとしてその訳に思い至る。  頬ずりしていた感覚が下に降りて首の皮を軽く噛まれたところで腑に落ちた。食いしん坊な王子様は花よりも団子の方がお望みのようだった。
「あの、マスター…」
 珍しく言い淀むチャーリーは、一応レイフロの意思を尊重するつもりがあるようだった。
 すでにいつくかの曲をこなして汗ばんでいる腕の中の人から立ちのぼる嗅ぎ慣れた匂いに大いに食欲を刺激されてしまったチャーリーは、またあの夜を思い出していた。思い出さなくていい、とても辛い空腹まで思い出してしまっていた。
 とてもお腹が空いて、手を伸ばせば届くはずのおいしい食事に手を出すことができずに我慢をして。やっと我慢をしなくて済むようになっても、まだお預けを強要されたあの夜を思い出して切なくなる。
「今日は、…逃げないでください」
「うん。これは、あれだな。パブロフの犬。」
 ロレッタと過ごしたあの夜をワルツを踊ったことによって思い出すなんて。ひどく物欲しそうな表情をしているチェリーがかわいい。レイフロとしても、あの時はいじめ過ぎてしまった(というか楽しみ過ぎてしまった)後ろめたさもあるので空腹はすぐにでも満たしてやりたい。でも。
「二人とも汗かいてるしなぁ。ベッドに入る前にはシャワーを浴びるのもエチケットのひとつだぞ?」
「駄目です」
「マジかよ」
 「バスルーム」というのもあの時のキーワードのひとつで、チャーリーにとっては地雷だったらしい。シャワーを浴びたいと言うレイフロを頑なに留めようとするチャーリーには苦笑してしまう。今日は閉じこもるつもりもないんだが。まぁ今更、潔癖症の処女みたいにどうしてもシャワーを浴びたいとは言うつもりもないし。喰う方がそれでいいというのなら異存はない。
「それじゃあ、チェリー。ダンスみたいにベッドまでエスコートしてくれるかな?」
 つい、と今度は自分が姫君のように手を差し出すと、空腹の王子様はほっとしたように手を取る。
「Yes, My King」

 ベッドというお皿に乗せられた王様は、これから食べられてしまうというのに至極満足そうに笑うのだった。
 






あれ? これ、メルヘン(笑)?
5巻の特典CDのワルツに激しく萌えて書いたんですが、なんか違う…。
「王様」「王子様」という呼び方がいけなかったのですね、きっと。
それにしてもvassaは私のツボをびしばし刺激してくださるので(ワルツはほんとにツボでしたよ!)かえって心臓に悪いくらいです(笑)。

思わずチェリーがミネラルウォーターを飲む描写も入れてしまったのですが、きっと彼らは水も飲まないですよね。
いやでも汗をかいたら血中濃度が高くなるよなぁ、血を飲むだけじゃ水分不足になるよなぁと思ってしまって(^_^;) 思わず水を飲ませてしまいました。

最近は以前に比べると文章を長めに書けるようになって来たのですが、どうも自分は10kb(長さは文字数じゃなくて容量でめどをつけてます)くらい書くと飽きてきてしまうみたいです。今回もチェリーがミネアの尻尾をふんずけるシーンを入れようと思ってたのに、どうにも入りきりませんでしたorz。
すんなり長くて纏まりのある文章を書けるようになりたいなぁ!


2011.05