※attention!!※
今回は絡みはありませんが話の流れから内容はがっつりと腐向けです。チャーリーはほもじゃないわっ! と思ってる方は読まずに戻られることをお勧めします。



N VALLEY 4



 わずかに開いたバスルームの扉から、湿った空気が流れ込んでいる。それに石けんの匂い。
 ぼんやりと覚醒していく意識に、最近はこのだるさの中、独りでの目覚めが多いなとチャーリーは思う。体が重くて、ふんわりとしたマットレスは泥沼のようだ。起き上がるのがこんなに困難だなんて。
 枕に沈み込んだ頭をまわしてカーテンの閉ざされた窓を見る。外は夜の気配だ。また昼間を自堕落に過ごしてしまった。頭が痛い。
 自分よりもベッドが体質に合わないマスターはどうしたろうか。広いベッドには自分しかいない。棺で寝たいと言った彼を無理に引き止めたことを今更後悔する。きっと疲れ果てていることだろう。本当に、引き止めた時はこうするつもりはなかったのだ。ただ、傍に居たかっただけなのに。彼に触れるうちに、もっともっとと貪欲になって歯止めがきかなくなった。なんという意志の弱さだ。チャーリーは起き上がるとクローゼットから取り出したガウンを纏い、人の気配のするリビングへ向かった。
 ベルベット張りのソファにレイフロが腰掛け、何か書類の束を確認しては所々にペンを走らせている。ここの経営者であるという彼の仕事をしているのだろうか。
 シャワーを浴びたばかりなのだろう、まだ湯気を立てているような体にバスローブを羽織っただけ。黒髪も滴る程に水分を含んでぺたりとしている。
「書類が濡れませんか」
 後ろから近付いて、ソファの背に掛けてあったタオルを手に取った。背後から頭部を挟むようにそっと濡れた髪を包む。書類に雫が飛ばないように、髪が傷まないようにと、押さえるようにタオルを絡めれば、「起きたのか」と振り向き見上げた顔にキスをする。目元のしわが深くなって、影の濃くなった疲れた顔に申し訳なくなった。うなだれて「すみません」と呟くと「何が」と返される。
「あなたを尊重しなかったと、反省してるんです。棺で寝たいとおっしゃってたのに」
 間髪いれずに、ゴツン、と勢いよく額に額をぶつけられる。いきなり頭突きをされてチャーリーの目の前で星が飛んだ。
「何言ってるんだ。俺が欲しがったんだろ?」
「でも引き止めたのは私だ」
「こういうのは合意の上でやれば、お互いの責任なんだよ。せっかく満足した気持だったのに水を差しやがって、これだからチェリーは」
 ソファの背に身を凭れさせたレイフロが、ゆったりと組んでいた脚を開いた。腰紐を結んでいないローブの前が大きく開き、筋肉質な全身がチャーリーの目に入る。ルネサンス期の彫刻のように均整のとれた無駄のない肉体は、存在していること自体が奇跡のようだ。ふわり、石けんの匂いが立ち昇る。魅惑的で、健康的な身体。これが「化け物」だとはだれも思わないだろう。
「お腹いっぱいで満足。腰が痛くて、ここもすかすかしてる気がする。でも、お前が望めばまだしたいかな」
 だから気に病む必要はないんだぞ? と見上げてくる顔は誘うような体に反してやさしさに満ちている。堪らなくなって、頬に親愛のキスをする。
「あなたが素敵なのは分かりましたから」
 後ろから手を廻して、レイフロのローブの前をきっちり合わせて腰紐を結んでやると、「え〜」と不満そうな声が耳元で抗議する。抗議をしたいのはチャーリーの方だ。惜しげもなく簡単に身体を晒さないでほしい。
「それよりも、お疲れなんでしょう? 棺に行かれますか? それとも食事に?」
 持参はしてないが、レイフロのテリトリーであれば血液パックの保管くらいしてあるだろう。今日はチャーリーは食事はしていないが、疲れているなら補給した方がいい。
「ああ、後で摂る。それから、寝たら1日じゃ起きれないかもしれん。その間お前をひとりにしてしまうが」
「子供じゃないんですから、ひとりでも大丈夫です。ここは自然も多くてのんびりした所のようですし、休暇を楽しみますよ」
 心配するレイフロに苦笑してしまう。もう無理に「行かないで」なんて引き止めるつもりはない。夜明け前には必死に引き止めてしまったけど、身体を重ねたことで気持ちに余裕ができたなんて、自分もずいぶん現金なものだ。
「ヘンな虫が付かないように気を付けろよ、ハン(=Honey)」
 レイフロが軽口を叩く。いつ自分に虫が付いたというのだろう。おかしなことを言うものだと笑ってから、つい口が滑った。
「ヘンな虫なら、あなたに付いているのでは?」
 言ってから、しまったと思った。これではレイフロの奔放な過去や、誘惑体質を当てこすったように、皮肉ったように聞こえてしまう。そして「虫」が付くことを自分が嫌悪嫉妬してると吐露してしまったようなものだ。自分にはレイフロの交友関係に口を出す権利などないというのに。気が緩んでうっかりと口を滑らせた自分を呪いたくなった。けれどレイフロは当然のように受け流す。
「チェリーは焼き餅焼きだな〜」
「すみません、出過ぎたことを・・・」
「今は虫は付いてないはずなんだがなぁ」
「え、」
「なんでそこで固まるんだ」
 失礼なやつだな、と眉尻を下げて、くくくと笑う。
「証拠を上げてみろよ。作戦とか、不可抗力以外で最近俺の不義を見たことあるのか?」
「それは」
 たしかに、少し前までの記憶を辿ってみても、レイフロが人間の血を吸ったりベッドを共にしているところは見た覚えがない。けれども自分の知らないところで、そういったことがまったくないとは言い切れないではないか。どうしても彼には多情なイメージが付いてまわる。実際そう匂わせることも自分から口にしていた。「ベッドを使うのは食事か身体のコミュニケーションだけだ」。そして何よりも「ピジオン」の頃のでたらめぶりが印象に強くて、今でもそういった要素があるのではないかと勘ぐってしまう。
「そりゃ俺が、貞操観念がどうのって語るのはおかしいかもしれんが、今はあまり欲しくないんだよ。お前以外は。なんか、飽きたっていうか」
「・・・飽きているようには見えませんが」
「だから、お前だけは例外なんだって! 恥ずかしいことを言わせんなっ」
「・・・それじゃ」
 本当に今のあなたには私だけなのですか。とは、さすがに重い気がして聞くことはできない。でも、そう思っていいのだろうか。ずっと欲しいと思っていたものが、いつの間にか手の内にあっただなんて、これは素直に喜んでいいところだろうか。レイフロがテーブルに置かれていた煙草の黒いパッケージを開けて、中身を取り出すと口に咥えて火をつける。深く吸いこんで、煙を吐き出した。
「お前は分からないかもしれないけどさぁ、セックスって結構飽きるんだよ。身体はひとつしかないし、使う場所だって決まってるだろ。内容なんてそうそうバリエーションがあるわけでもないしな。あとは相手をひたすら変えるっていうのもあるけど、それだって数をこなせばパターンが似通ってきてしまう」
 なんだか、すごい過去を告白をされている気がする。いや懺悔というべきなのか、これは?
「で、ある時思い至るわけだ。あぁ、俺はもうコレはいいや。飽きた。ってな」
 では、自分を誘惑するのはどういう理由からなのだろう。ポーズだけとは考え難い、実際に「したい」と口に出していたではないか。それに、仮に最中に「飽きた」と思われているとしたら、自分はかなり落ち込んだ気持ちになる。ちょっとやそっとでは立ち直れないくらいに。
 チャーリーは首を捻って苦手な課題に思考を巡らせる。少なくとも今の自分には考えもつかない。はたして、それはいつか飽きる行為であるのだろうか? 愛しい人と体を重ねることは心に平安をもたらすというのに。
「くく、納得いかないって顔してるぞ?」
「私は飽きるほどしていませんから、その心境は分かりませんし、その・・・あなたとの行為は素敵なことだと思っていますから」
「わお! 今の言葉ぐっときたね」
 大人になったのね。パパは嬉しいわ! なんて揶揄ないでほしい。以前は宗教を理由に頑なに禁忌としていたし、そういった気持ちを持つ余裕もなかったけれど、今では自分にとっては身体を繋げることは精神を繋げることに似た、神聖な行為なのだ。ふわりふわりと、伸ばした手をすり抜けるあなたの心を、ここに留めておける行為は他にない。幸福感だって、他にはないくらいに感じられる。それは相手がレイフロであるという動かぬ前提があってのことだけれど。
「茶化さないでください」
「茶化してねぇよ。そのお利口な頭でよぉく考えてみろ。体が飽きたと思っても、心がそれを求めるんだろ。心が体を突き動かすんだ。それって、『そういうこと』じゃないのか?」
「『そういうこと』とは?」
「馬鹿。自分で考えろ」
 ちょっと照れた素振りで煙草を思いきり吸いこんだりするのはどういった理由からだろう。自分は言葉遊びや思慕をゲームにしたりするのは得意ではないのだから、はっきり言ってほしい。
「ちょっとまだ勉強不足でよく理解できないところもあるのですが、つまりあなたも素敵なことだと思ってる?」
「思ってるよ」
「・・・今の私は気持ちが満たされていて、起きぬけでだるいとも思ってます。正直、あまりその欲求はありませんが、でも、あなたが望むのなら、しても構いませんよ?」
 少し考えて、さっきレイフロが言った言葉を繰り返すように口に出せば、レイフロが声を立てて笑った。
「チェリーのえっち!」


「さぁて、俺はそろそろ寝床に行くかな」
 短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、レイフロはほったらかしになって散らばっていた書類を纏め、とんとんと揃えてテーブルの端に置いた。
「これ、お前も目を通してサインしておけよ」
「はい?」
「お仕事。この書類にはふたりの経営者のサインが必要なんだ」
「―――は? 言ってる意味がよく分からないのですが」
 唐突にレイフロに言われた言葉の意味がさっぱり理解できない。「お仕事」とはなんのことだ?
「言ったろ? ここには、俺のほかに共同経営者がいるって」
 むに、と固まったチャーリーの鼻先をつまんで、悪戯をするときの顔でレイフロが言う。どう見ても中年男性であるというのに、鼻の頭に皺を寄せて、犬歯もあらわに、にっと笑う顔さえもチャーミングだ。などと会話の流れを無視して見惚れてしまう。
「ここの経営を始めた時から、経営者は俺とチャールズ・J・クリスフントにしてあるんだ。今までは書類上だけの架空経営者だったけどな」
「え・・・・・・」
「まぁ、これからはお前も少しはパパのお仕事を手伝いなさい。といっても、管理は人に任せてるからたいした仕事はないんだがな」
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。話の展開に頭がついていかなくてくらり、目眩がした。レイフロが突拍子がないのは今に始まったことではないが、随分自分は振り回されているような気がする。
 レイフロが言う。親の仕事を手伝わせるのは当然のこと。ましてや『元』ハンターとなり時間の融通がきくようになった有能な息子を使わない手があるだろうか、と。
「なんだよ。反応が薄いな! さんざん今まで俺にハンター仕事を手伝わせておいて、こっちの仕事は手伝えないっていうのか?」
「・・・いえ、ちょっと驚いてしまって」
 別にお願いしてハンターの仕事を手伝わせたことは一度もない。実際はレイフロが無理矢理仕事について来るのがほとんどだったではないか、という話はこの際脇に置いておく。
 自分を困惑させているのは問題はそこではなくて。
 それでは、彼の言う共同経営者とは自分のことだったのか。この数時間自分は「自分」に嫉妬していたというのか。胸の奥にわだかまっていた、もやもやとしたものが霧散していく。というよりも最初から存在しなかったのだ。代わりにくすぐったい感覚が腹の奥から込み上げてきた。
 まったくなんて心配症。被害妄想もいいところだ。ずっとレイフロに他人の影を見ていたというのに、蓋を開けてみればそこには自分だけを受け入れようと諸手を広げた彼が居る。
 自分はなんという道化だろう。顔を手で覆い、絶句しているチャーリーを気にして、ソファに膝を立てて後ろを向いたレイフロが顔を覗き込んだ。心配そうな顔を見ると、ますますくすぐったく感じて気持ちが溢れ出てしまう。
「なんだよ、そんなにびっくりしたか?」
「・・・ふ、くくく」
 まるで憑き物が落ちたようだ。おかしくて仕方がない。抑えようとしても声が止められなかった。チャーリーはなにかの発作のように声を洩らしながら忍び笑いを続ける。気を抜けば大きく笑ってしまいそうだったが、それは不適切なような気がしてなんとか抑える。無理に抑えて笑っているせいで涙まで出てきた。おかしくて、笑い過ぎて苦しくて、何かに縋りつきたくて目の前できょとんと眼を大きくしているレイフロをぎゅうと抱き締めた。
「く、くく・・・すみません。本当に、びっくりしてしまって」
「お、おう」
 ぎゅうぎゅうと力を込めるチャーリーを不審に思いながらも、レイフロは自分も腕をまわしてそっとチャーリーを抱きしめた。
「・・・なんだよぉ、おかしなやつだな」
 笑いは伝播してレイフロもくすくすと声を洩らした。
「あぁ、もう本当にあなたには敵わない」
 この気持ちをどう伝えたらいいだろう。とても満たされて幸せで、ふわふわと体が浮いてしまいそう。たとえあなたが誰のものであろうと、あなたを想う気持ちに変わりはないと思っていたのに、今のこの晴れやかな気分はどうだろう。まるで世界が違って見える。  腕の中には眠い眠いと笑ってぼやく大切な人。困った。早くこの人を棺に連れて行かなくてはならないというのに、もうしばらくは解放してあげられそうにもないなとチャーリーは甘く困惑した。


The End.

  





【後記】

 はっきりと本心を言わないだろうマスターに告白させた、つもりです。
 『そういうこと』とは、つまりそういうこと(笑)。
 なんだろう。今回(N VALLEY1〜4)は書いててすごく楽しかったです。遅筆なのは相変わらずなんですけどね。BGMがよくて気分的にノリノリだったからでしょうか。いただいたコメントももちろん重要な燃料でした!
 ところで、せっかくワイナリーに行かせたというのに、ワイン満喫させられなかった・・・なんてこと!
 そしてちっとも旅行記にならなかったですね。最初に考えていたのと随分着地点がずれてしまいました(うぅぅ)。
 それから「共同経営者」のオチ、トンデモ設定ですみません〜。「共同経営者」が何者なのか気にしていただいた方、ありがとうございました。いろいろ予想してくださったrさんもうれしかったです!
 暗にマスターにチェリーだけって言わせたかったんですよ。そして仮に自分に何かあった時に財産を分けられる理由にもなるかなとか。とか・・・。

 それとですね、チェリーに「darling」って言わせたかったんだけど、こちらは自重したよ!  マスターはチェリーに対してあらゆる(愛しさを込めた)呼びかけをしそうと思うのですが、さすがにチェリーは言わないかなぁ、無理があるかなぁって思って(^_^;)。言ったら結構な破壊力があるんじゃないかとも思ったんですが。・・・いつか言わせたい。

 なにはともあれ、つまらない話でしたが最後まで読んでくださった方に感謝! ありがとうございました〜♪


2011.11