流鳥様からの頂き物ですv



  ・・・・・・マスター。

三分の二程を飢血に委ねた意識で霞む視界に、見覚えのあるクローン
たちの揃いの衣服を身に纏った姿が目に入る。
最初少し驚いたような表情が、こちらを見て嬉しそうにした。
若々しい雰囲気に、癖の無い無邪気な気配。
ヴァンパイアとしての才覚の薄い私には、“匂い”や勘だけで“彼ら”
を見分けることは出来ない。
・・・・けれど。
光を映していた業を負わない瞳が一瞬、夜を湛えた色を覗かせる。
おいで、と目の表情だけで微笑った。
それだけで十分だった。

“クリストファー”の“異変”に、やっと気が付いたようにうろたえた幼い風
情の表情。屋敷中の要所を見張る監視カメラの角度と廊下の配置は頭
に叩き込まれているのだろう。
衝かれたように歩み寄り、目の前の彼に腕を伸ばして掴んで強引に引き
寄せる。胸元からネクタイを引き千切り、乱暴にシャツを引いて首と肩
口を露にし・・・一瞬息を吸ってから。
喉元に深く牙を立てた。
 本来、ヴァンパイアが首に咬み付くときには横の血管を目標にする。
喉元を狙うのは“獲物の息の根を止める”肉食獣の仕草だ。
けふっ、と咳き込んで仰け反った彼の口元からも血が伝う。
人間と違って呼吸は生命維持の常時絶対条件ではないのだが、危険な
ことに変わりは無かった。
慣れ親しんだ何よりも甘く深い血の匂いに目眩がするのをギリギリ意識
の奥で堪えて一度強く吸い上げると、角度を変えて咬み付く。
溢れた血で滑らかな喉が真紅に塗れて、飛び散った暖かな液体が私の
顔と服を濡らした。
立ち込める血臭に溺れるように“食事”をする有様は、端から見ればさ
ぞかし凄惨な光景に違いない。
 ただ、この屋敷の主や部下達は、私がこれまでどれ程“断食”に耐え
たことがあるかは大して知らないだろう。
詳細がわかるのは私自身と、身をもって知っているマスターだけだから
だ。
・・・まだ、最大の限界はこの程度じゃない。
今の私にとって、血の飢えよりも強烈なのはマスター自身への飢えだ。
望む時に会えないことが、声を聴けないことがどんなことよりも辛い。
それが飢餓感を増す。
 早く、元のように一緒に居られたら。

 とりあえずの量を飲んだところで、口を離す前に舌で血塗れの喉を探
り最初の傷がもう治まっていることを確かめた。
抱え込んでいた、くたりとしたままの身体を脇の下から差し入れた右腕
で持ち上げて立ち上がり床を引き摺るように廊下をゆっくりと歩き出す。
・・・・・・もう、それほど遠くは無い。
絶対に、気付かれてはならない。


***


 離れた場所から聴き慣れない車輪のような音が高速で近付いて来て
背後でぴたりと止まった。
この気配は・・・アルフォードか。
間を置いて、無言の後に。
「・・・・・・父親を
食い殺した気分はどうだ・・・?」
低い位置から投げ掛けられる、動揺と苦渋のようなものが滲んだ声を
耳にして足を止めた。

 ・・・もう、歩かなくてもいい。
荒い息をついてがくりと膝をつき、マスターの身体を抱き締める。
何時の間にか零れ落ちていた涙が止まらない。
 ずっと触れているから、生きていることはわかっている。
だけれど私が血塗れにしたままの喉、力なく垂れた腕、動かない身体。
・・開かない瞳。
この人に、“自分の手”で触れたのはなんて遠く思える昔なんだろう。
この手で、確かに此処にある背を抱いて、艶やかな黒い髪にも触れて
いるということが、どことなく非現実的で。
「大丈夫だ、早まるな。
今すぐ私に渡せば、まだ助かる・・・
前のように・・・」
おろおろと、少年の声が遠慮がちに届く。
返事はしない。まだ完全に正気に返っていないと思われればいい。
一瞬でも、この時間が惜しい。
抱えた血の気の薄い顔を溢れる涙で濡らしながら、閉じたままの瞼に、
頬に、目の間に祈るように口接けた。
離れたくない、でもどうか・・・無事でいてください。
「・・・もう お別れの時間です・・・
マスター・・・」
ふわ、と“気配”がそこに生じた。
最後まで触れていたくて両手で脇を支えて抱き上げると、彼の両手がゆ
るりと持ち上がり私の首を抱えて瞳が開く。
見慣れた眼差しが間近で覗き込んでいた。
「・・・また すぐに会える。
クリス。」
僅かの間に、血塗れだった喉は牙の跡を残して綺麗になっていて、顎先
の薄い髭も戻っていた。・・・何時もどおりで、ほっとする。
掌に伝わる重みが軽くなるのが切ないけれど。
「・・・・・・ええ。」
宥める声と涙を拭ってくれる指先にかろうじて笑みで答えると、抱擁するよ
うな優しい手が頭を抱えて、閉じた目元に軽い口接けが落ちた。
一瞬の後。
抱え上げていた腕の中の姿は輪郭を失い、広げた私の腕の中から無数
の蝙蝠となって“出口”目指して舞い上がってゆく。

 飛んでください、マスター。



  翼あるものよ、貴方に自由を。








26章の感想で「チェリーとマスターの邂逅のシーンがその後どうなっているのか気になる!!」と書いたところ、流鳥様が書いてくださいましたー♪
文章の「血の飢えよりも強烈なのはマスター自身への飢えだ」ってところに、そうだよね!そうだよね!と全力で同意してしまいました。
チェリーの本心と芝居の、理性と焦燥の間で揺れる気持ちに、そして言葉はあまり交わさないながらも親密なふたりにきゅんとしますね!
このたびはこのように素敵な品物をいただきましてありがとうございました。

とても素敵な作品ですが、無断転載はくれぐれもご遠慮願います。
どうぞご了承くださいませね。



2011.08