『glass pigeon』流鳥様からの頂き物ですv



るをいの『masquerade』(別室参照)の続き、派生話。なので先にそちらを見ていただくと雰囲気が掴みやすいかもしれません。







 ・・・・・・。
クリスの気配が、遠ざかる。
匂いが、薄れてゆく。
「・・・あは、は・・・は」
自分を仰向けに床に縫い止めている金属に両手の指先で触れてみる。
柄(つか)の部分にキリスト像が飾られている、白と白金で十字架を模した、
二重の意味で実用品でありながら美しい長い剣(つるぎ)。
然程幅広のものではない刀身に貫かれている腹部は痛みはあったが、まだ
十分に効いている薬の影響でじんわりとした快感のようなものとして感じ
られる。
無性に可笑しい。
こんなものを何処かで見たような気がする。
豪華な天鵝絨(ベルベット)の上に飾られた、宝石のように光を弾く色とり
どりの羽根や甲殻。
「・・・・・・ふ。
虫ピン、かぁ・・・・・く・・くくっ・・
あ、はははは・・・っ」
笑いで大きく身体を震わせると、傷口も動いて絨毯に流れる血の匂いが増
すけれど別に構いはしなかった。
放っておいてもこんなことで死にはしない。
こんな程度で・・死ねはしない。
長い時を経た人外の身体は、人間には強烈過ぎるこの毒性さえそれ程長く
も経たずに緩和して跡形も無く消してしまうだろう。
なら効果が切れるまでは、享受したって・・構わないじゃないか。
つれない愛し子は、身代わりを残して逃げ去ってしまったが。
「・・・・なぁ
・・俺とぉ、居て・・・くれる・・か?」
可哀想な剣。
綺麗なのに、こんなつまらないものと一緒に取り残されて。
 身体の感覚は気分の悪くない熱に浮かされているようで心地良いのに、
何かが足りないという切望が身の奥のほうで訴えている。
それに聞こえない振りをして、我が身を貫く楔に手を掛ける。
「・・・・これで、じゅぅぶん・・だ・・
な・・」
片手で引き抜いて半身を起こした。
血塗れの刃に、そっと唇を寄せる。
・・・・・・・無関心じゃない。
簡単に断ち切れもしない。
だから、それで、いい。
それでも、いい。


 ユリアを喚(よ)んで部屋の片付けを命じてから奥庭に出る。
小さな森のようになっている木立を抜けると、ぽっかりと頭上が抜けて
いる円形の場所に白い石造りの東屋と遺跡のような小さな水浴場があっ
た。
此処には館のざわめく喧騒も少し遠い。
まだふわふわと雲を踏んでいるような感触の足取りで、上衣を羽織らな
い服はそのままに、清水を引いている浴槽の段を降りて身を浸す。
冷たくて気持ちがいい。
剣から血を洗い落として、天から差し込む月明かりに照らして満足し、
手を離して水底に沈めてみた。
ゆっくりと落ちていったそれは剣先を先に着けて横たわり、透明に揺ら
めく波紋の下で仄かに光を帯びている。
うっとりと眺めて、一緒に並んで沈んでみた。
・・クリスの首に付いているコードと同じ配色の彩り。
眼差しと、金色の髪を思い出す。
そっと取り上げて水面に浮かび上がり、ぼんやりと剣を胸に抱いたまま
空を見上げる。
「・・・・クリス・・」
この期に及んで酷い我儘だとわかってはいるけれど。
俺に向ける笑顔はもう、見られないんだろうか・・・。



***



 「・・・・。」
使い走りのような小さな子供が届けてきた包みを解いて、中に入ってい
た木製の小箱の蓋を開けると、緩衝材なのだろう細切りの紙に埋もれて
見慣れない物が入っていた。
慎重に紙を取り除けて掴み出してみると、それは淡く水色のような彩を
帯びている掌に載るほどの硝子玉だった。内部は中空になっていて、何
故か沢山の真っ白な羽毛が詰められている。
・・何だ、これは。
子供に送り主のことを尋ねてみても、代わりのひとだったからと要領を
得ず名すら聞いていなかった。危険物ではなさそうだが、ともう一度詰
め物の紙を確かめると箱の底にまだ何かが入っていた。
摘(つま)み上げると、それはとても薄い折り畳んだ紙だった。
指先で破らないように慎重に広げてみると、半ば透き通る艶のある白い
紙の表面には、黒インクで押された活字判のものだろう文字が無造作に
並んでいる。

 <トマスを迎えに来い>

たったこれだけの文章と、あと数字が幾つか。
「・・・・・」
指示されている名前はキリストの十二使徒として有名なため、とてもあり
ふれたものだ。知り合いに居ないわけではないが・・・状況としては心当
たりが無い。
数字のほうは、・・・これは、地理座標か?
 ふと、思い当たった。
こんな面倒なことをしそうなのは、あのひと、しか居ない。
大きく溜息をつき、少し迷ってから仕方なく出掛ける準備を始めた。



 目的の場所を探し当てると、そこは郊外の私有地の林の中だった。
奥に通じる小道の門は開けられていたのでそのまま通る。
暫く歩くと、まるで童話の挿絵にでも出て来そうな丸木で造られたログ
ホームがひっそりと夕暮れの木陰に佇んでいた。
ドア脇のノッカーは叩いてみたが、応答がないので鍵の掛かっていない
扉を開けて中を覗く。一応警戒はしていたのが拍子抜けなほど、木造り
の簡素なテーブルと椅子や棚などの調度品以外何も無く、気配も無く誰
も居ない。埃を被ってはいないので、ただ現在使われていないというだ
けのようだが。
辺りを見回すと、どうやら階上があるらしい小さな急勾配の階段が隅に
見える。そして微かな、匂い。・・・こちらか。
 段を上りきると、そこはいわゆる屋根裏部屋、という類の場所だった。
低い天井に、三角の屋根の形に添っている二重のカーテンが引かれた大
きめの窓。木箱に簡単な天幕をつけたような寝台。低い棚や机と椅子。
鳥をモチーフにした彫刻のある揺り椅子。
・・・・それと。その一隅に、木肌そのものばかりの素朴で落ち着いた
周囲に不似合いな、黒い瀟洒な棺がひとつ。
深々と溜息をついて、カーテンを少し開けて窓の外を見遣った。
・・・・・・・・もう、陽が沈む。丁度良い頃合の筈だ。
机の上にあった角灯に火を入れて置き直していると、陽は落ちて周囲は
急速に暗くなった。けれども、少し待ってみても辺りは静かなままだ。
呼び出しておいて未(ま)だ起きないのか、と棺の脇に膝をつき、蓋に手
を掛けて勝手に押し開ける。
・・・・・。
光を反射するものが幾つもあることに意表をつかれて、思わずまじまじ
と中を見直した。
横向きにやや丸くなるように、白いクッションと軽い掛布に埋もれた姿
と、その上に点々と装飾品のように転がる羽毛入りの色とりどりの硝子
玉。そして裸の胸元に抱え込まれているのは、見覚えのある剣の柄(つ
か)。
「・・・・・・びっくり箱のつもりですか」
どうせ起きているのだろうと当然のように声を掛けると、案の定、ゆっ
くりと瞼を上げた面(おもて)には眠りの名残はもう無かった。
「・・・お早う、クリス」
曖昧だった表情が、ふわりと嬉しそうに微笑む。
「・・今晩は、です」
訂正してから、改めて問い掛ける。
「ところで、わざわざ“新品”の“骨董品”まで用意して。
好きにしろ、とでも言って下さるおつもりですか。
・・・・副葬品だというなら、今から喜んで埋葬して差し上げますが」
剣と装飾品と共に眠っているような光景は、死者と言うよりもどことな
く封じられた不思議ないきもののようだったが勿論そんなことは口が裂
けても言うつもりは無い。
「・・・あぁ、判ったんだな。
いや、ただふと・・懐かしくなって。
何処にでもありそうな色付き石灰よりも、綺麗だろう?」
ふふっ、と息を零すように笑うと身を起こそうとはしないまま、彼は寝
床の枕の上から私を見遣る。
 私の元にも送られた羽毛入りの硝子球は、心当たりの名前から資料を
当たってみると、現在“clay pigeon”・・・土製の的を当てる射撃競
技が、最初本物の鳩を放していたのから土製に代わるまでの間に使われ
た代替品のひとつなのだそうだ。
当然ながら骨董で消耗品であったそれは現在そうそう手に入るわけもな
く、今目の前にあるものはおそらくこのひとが酔狂で作らせたのだろう
真新しい品だ。
複雑な暗色を帯びて見える深い瞳が、結われていない寝乱れた黒髪の隙
間から覗いていてほんの少し悪戯気に光を弾(はじ)く。
・・・。
今日は随分、無防備なように感じる。
高を括られているのかもしれないが、からかわれていたり油断を誘う仕
草のようにも・・見えなかった。
「随分と珍しい“名刺”であることは認めますよ」
きっと、玩具で喜ぶように懐かしいそれを手遊(てすさ)びで転がして眺
めていたのだろう。
・・・・砕けて散って、地に落ちる筈のものを、惜しむように。
無邪気な表情まで想像出来るようで、ふいにずきりと胸の奥が酷く痛ん
だ。表には出なかっただろうそれに当然彼は気付く様子も無く。
もそもそと動いて剣を抱え直し、柄に頬を当てる。
「んー。
誰かさんが、身代わりに置き去りにして行ったからな。
片割れのところへ返してやらないと、と思って」
「・・・」
あれだけの耽溺状態でも、矢張りこちらの情報を把握しているのか。
冷ややかに睨んだが彼は構う様子も無く、
「一寸、惜しいんだがな。
・・俺に“口接け”を返してくれたし・・」
掛布の中から少し持ち上げた片方の腕の内側を、ぺろ、と舌先で軽く舐
めた。その表皮に、細い切り傷のようなものが幾つも薄赤く走っている
のに気付いて。一瞬で“意味”を理解した。
手を伸ばして躊躇無く掛布を剥ぎ取る。
載っていた硝子玉が滑り落ち、ぶつかりあったものは微かに硬質な音を
立てたが幸い割れることは無く其々(それぞれ)転がった先で留まった。
柔らかなクッションを寝具代わりに幾つも並べた上に、しどけなく横た
わる何も纏っていない身体。滑らかな皮膚としなやかな筋肉で形作られ
ている輪郭、爪先まで綺麗な手足。
「やーん、急に引っ剥がすなよ。
寒いだろ?」
ふざけた口調で、驚く事も恥らう事もなく、眼差しが不思議な静けさを
湛えて微笑(わら)う。
・・・・・・・私が、彼を床に縫い止めたまま置き去りにした、あの時携えて
いた双剣のうちの一本が。
まるで共寝の人形ででもあるかのように気軽に親しく、彼の身体の前側
に抱かれている。剣の平(ひら)を身体の側に当てているのでその分は問
題が無かったが、何度も抱き締めでもしたのか両刃の部分に触れる両腕
の内側と脚の腿の内辺りにはまだ治り切らない同様の線が何本も深く浅
く描(えが)かれていた。
痛々しい光景の筈だったが、それは何故だか奇妙な調和のようで、どこ
となく美しくもあった。
「・・・・・・・。
何をしているんですか、貴方は。
十字架の象徴に向けて」
ばしり、とその片頬を平手できつく打ち据えて“無礼”を叱責すると、
ひどいな、と少し口中が切れたのか微かに顔を顰めたが、それでも彼は
穏やかに笑う。
「・・・・・・だって、独りは寂しい、じゃないか」
・・・・・・・・・・・・・。
私を、かつて私を置き去りにした貴方が、それを言うのか。
 酷く、苛立つ。
本来なら、憎むべき彼が傷付くのは歓迎するべき事態の筈だった。
原因なんて何でもよい筈だ。
だが、どうしても。
それが自分の剣であっても。
彼の意向によるものであってすら。
“私の意志”ではないもので、彼が傷付くのはどうしても、許せない思
いが先に立つ。
「・・・・貴方に“名の意味”で靡いた“裏切り者”など、不要です。
返して頂かなくて、結構ですよ」
・・・・彼が伝言で双剣の片割れの意味で伝えた“トマス”は“双子”
という意味で、使徒の“渾名”だ。兄弟や相似者については正確には伝
わっていず何故そう呼ばれていたのかはいまひとつ不明なのだが、彼の
本名のほうは“ユダ”という。
キリストが誰なのかを口接けで指し示したと伝えられる“イスカリオテ
のユダ”が裏切り者の代名詞として有名だが、当時はありふれた名前だ
ったその名は“賛美”を意味する。
え、でも・・・おまえの武器・・と困ったように呟く声を遮って、
「好きなようにすればいい。
・・ですが、“代価”は戴きます」
ぐい、と腕を引いて棺から彼を強引に連れ出すと箱寝台の掛布の上に無
造作に投げ出して、縁に腰を降ろす。
「・・・・え? え、・・・・・う?」
相変わらず無防備な様子で引き摺られるまま放り出されてきょとんとし
た後、急に戸惑ったように薄く頬に血の色を上らせた彼は、今更少し怯
えたように肩を竦ませた。
「・・・・・・。
なんです、ひとがこれから苛めるみたいに。
“食事”を戴きますよ。
今日は、問題が無さそうですから」
ふん、と軽く彼のうろたえ振りを一蹴すると、あ、と小さく声を零した
彼の表情が変わった。安堵したように柔らかな笑みが浮かぶ。
「・・・そ、か。
・・・・・・・・うん。
じゃ、おいで」
両腕を軽く広げた仕草と誘う言葉は、
「・・・幾つだと思っているんですか」
深々と溜息をついて、暫く振りの“食事”をすべく。
遠い記憶と変わらない、今はもう大きくはない肩を掴み寄せた。



***



 目を醒ますと、見慣れた棺の中だった。
「・・・・。
夢、じゃないよな」
まだ回復しきっていないのか、少しくらくらするし・・。
棺の蓋を開けて、辺りを見回す。
 薄明かりの部屋の中。
揺り椅子の上にきちんと畳んだ布が置かれて、その上にまるで鳥の卵で
でもあるかのように硝子玉が並んで微かに光を帯びているのが、暗さを
苦にしない眼に映る。
俺を棺に納めるのに邪魔だったんだろう、な。
・・・クリスはもう、此処に居ない。
嗅覚とそれ以外の感覚で認識した。
ほっと、安堵なのか落胆なのか両方なのかわからない溜息をついて、も
う少し横になっていようかと思っていると、枕の上で手が何かに触れた。
「?
・・・あ」
それは、“畳まれた状態”の片方の双剣だった。
クリスはあの長剣を、大振りの十字架のような形状の収納状態で服の内
に携帯していて、必要な時には殆ど間を置かず使用出来る状態に組み変
える。畳んだ状態のこれを手に取ったのは初めてだったので、しげしげ
と眺めてみるが・・・・。
「あれ?
これ、どうやって“開く”んだ?」
精巧な仕組みで、開いて伸ばして接続する。
それは理解しているんだが・・・・・どうすればいいのかわからない。
あちこちいじってみても無反応だし・・・・・・・。
「・・・・・。
・・・・・・・・狡い」
それは、その。俺はこういう細かいものはからっきし不器用だけど。
絶対、これ固定鍵(ロック)掛けてある。
カサリという感触に片手が別のものを探り当てると、手帳を破り取った
らしい紙に几帳面な文字が短く並んでいた。
『悪戯厳禁』
・・・・・・。
「クリスのばかーー!」
とりあえず叫んで気が済んだ。
あーあ・・、と独り言のように溜息をついて。
護符のように枕の下にごそごそと押し込んでから、二度寝することに決
めた。今は、先のことは何も考えずに眠りたい。
「・・・。お休み」
この剣、名前でもつけてやろうか。
うとうとと、眠りに沈みながら。



 そのころ、金髪の青年は何処かでくしゃみをしていたかもしれないが。
 平行線の絆の行方は、今は未だ誰も知らない。










『vasめも。』の流鳥さんよりいただきました。
私のヘタレ私得短文からこんな素敵なお話が!! まさに棚ボタ。鳶が鷹。
クリスに笑ってほしいマスターが切なかったり、双剣の片割れと戯れる様が色っぽかったり、何気に嫉妬しつつも優しさを隠し持ってるクリスが愛しかったり・・・!
本文と、キーワードの『双子』や『硝子玉』などについては流鳥さんのサイトに説明文もありますので是非そちらもチェックしてみてくださいねv 更に深くこのお話楽しめます♪


とても素敵な作品ですが、無断転載はくれぐれもご遠慮願います。
どうぞご了承くださいませね。



2011.09