Marry me !!
※タイトル通りふざけた内容です※




「チェリー、抱いてくれ」
「ぶぉほっ…ッ!!!」
 啜っていた冷たいレモネードが気管に入って、チャーリーは盛大に咳き込んでしまった。水と違って酸味のあるものが詰まると涙が出るほど苦しいものだ、と久し振りに思い出した。ついでにダイニングテーブルをはさんで座っているレイフロに少し噴き出したものが飛んでしまったかもしれない。でもそれで責められるのはお門違いだ。そもそも責任問題でいえば唐突に問題発言をしたレイフロの方に非がある。
 というか、いま、目の前のこの人はなんと言ったか。
 「抱く」とは、つまりそう言うことだろう。間違ってもハグなどの軽い意味ではあるまい。特に歩くセックスアピールともいえるこの人が発した言葉なのだから意味を取り違えようがない。と具体的に内容を思い浮かべてしまい、チャーリーはぽぽぽぽぽと頬を赤く染めた。
 落ち付け、落ち着くんだ! 自分を叱咤激励して問題発言の前後の会話を反芻するが、そう言った要素はどこにも見当たらない。いくら自分が鈍感(残念ながらその自覚はある)であったとしても、話題は色っぽい流れに間違いなくなっていなかったはずだ。


 今夜は少しだけ欠けた月が明るくて、その薄い金色に輝く姿から連想して、レモネードなどを飲みませんかと誘ったのは珍しく自分から。ダイニングテーブルをはさんでアルコールではなくソフトドリンクを楽しみながら、お茶請けには近所のミセスから差し入れられた手作りのビスケット。
 これ以上ないくらいのほのぼのとしたシチュエーションに、チャーリーは『昔の未来展望』などをうっかり口にしたのだった。
「昔は、こんな老後を夢想した時もありました。ちいさな一軒家の、ささやかなバルコニーにロッキングチェアを置いて、そこで誰かと日向ぼっこをしながらレモネードを飲むんです。手作りのビスケットと一緒に、こんなふうにね」とかなんとか。一昔前の平凡なアメリカ人の老後。それは日本で言うところの『縁側で日向ぼっこをしながらお茶とお煎餅』という構図と何ら変わりない。


「それが、どうしてそういう発言につながるんです」
「うん?」
 ヒリヒリする喉に涙目になりながら詰め寄ると、穏やかなティータイムに爆弾を投下した張本人は何が問題だったのかも分からない、といった風情で小首を傾げる。
 というか、外見30代のおじさんが小首を傾げないでください!
 うっかり脳の回路が誤作動を起こして『かわいい』などと認識してしまうので!!
 ついでに両手でグラスを持つのもやめてください。いつものふてぶてしい態度はどこにいったんですか。あぁ、本当にこのひとはかわいい・・・じゃなくて! あぁ、神よ!!
 レイフロの一言に動転した頭は混乱して(だって『抱く』ってなんですか!)、決別したはずの神にチャーリーは救いを求めた。
 けれども神様の救いの手は差し伸べられなかった。神様だって自分を捨てた者に優しくするほど寛大ではないのだ。
「かぁ〜わいぃ〜なぁ! 俺のチェリーは!!」
 代わりに手を差し伸べたのは、自分が信仰すると決心した人で。
 とりあえずチャーリーは、文字通り差し出された手に自分のそれを重ね合わせる。すかさず、きゅっと握られて更に頬が熱くなるのを自覚した。それを見てレイフロはくふふと含んだ笑みをもらす。
 あぁ、神よ。あなたを捨ててこの人を選んだことをお許しください。私はこれっぽっちも後悔していないのです。それどころか今まで感じたことないほどの幸福感に包まれるのです。
 都合よく心の中の神様に懺悔という名の惚気をかましているチャーリーの手をにぎにぎしながらレイフロは上機嫌だ。
「だって〜、チェリーが可愛いこと言うから」
 無垢な、キラキラした顔で語る昔の夢。
 叶うはずもないと一時は諦めたはずの未来を、こうして一部ではあるが実現している。さすがに日向ぼっこは無理だが、甘酸っぱいレモネードと手作りのお菓子。隣には掛け替えのない誰か。そんなチャーリーの夢に同席できただけで胸がきゅうとやさしく締め付けられる。しかもこういうシチュエーションで一緒に居るのは「人生の伴侶」ってやつじゃないか?
「ついでに下半身もきゅんとして何が悪い」
 あからさまな発言にチャーリーはがっくりと肩を落とす。
「そういう性的なものは、私の展望には入ってはいなかったんですが」
「すんごく、信仰深かったからな。お前は」
 当然のように過去形を使い、レイフロはにまにまと頬を緩ませながら「今は?」なんて問い掛ける。
 なんという愚問。繋いだお互いの指を戯れさせているせいか若干朱を帯びているせいで艶を含んだ顔がチャーリーを見つめる。
 レモネードの置いてある健全なテーブルの上で、指をほどいて絡ませて、相手の手の平をくすぐって躱して、また絡ませる。こうした指の攻防だけでチャーリーは満たされた気持ちでいっぱいになる。
「今、は…。大切な人と共に居るだけで、満足ですから」
 切羽詰まった場面で、レイフロを大切だと叫んだことは何度かあったが、こうした穏やかな時間の中で自分の気持ちを伝えるのは苦手だ。普段は大した仕事をしない心臓がこの時とばかりに口から飛び出しそうなほどに自己主張をしている。やっとのことで言葉を紡いだ口を湿らせようと汗をかいたレモネードのグラスを取るために、繋いだ指をいったん離そうとする。それを許さずに手を繋ぎとめたままのレイフロは「俺も」とだけ呟いて可愛い息子の拳にキスを落とす。そのまま甘えるような媚びるような上目遣いをするのは自分の魅力を熟知した上での計算だろうか。どうしよう、困った。抱きしめたくなってしまった。くせのある髪の間からのぞく漆黒の眸はひどく魅惑的でチャーリーは席を立つしかなかった。


 何が「性的なものは含まれない」か。レイフロは心の中で拗ねてみせる。
 緊張した面持ちで、甘く上擦った声で自分を大切だと告げる目の前の男は自分をさんざん煽っていることに気が付いていないのだろう。自分が性的であることに自覚がなさすぎる! これだから天然のたらしは。おじさまキラーは!
 これだけ煽っておいて「実はそんなつもりはありませんでした」なんて詐欺以外のなにものでもないではないか。これが相手が短気なレディであれば平手のひとつやふたつ喰らっても文句は言えない鈍感ぶりだ。でも自分は経験のないお嬢さんでも年老いて枯れた紳士でもないのでここで引き下がるつもりはさらさらない。それなりの手練手管でもって相手をその気にさせる術は分かっているつもりだ。それが堅物チェリーに通用するかは今のところ不明ではあるが。
 テーブルの上で繋いだ手を解いて指を絡ませればチャーリーは拒否することなく手遊びに付き合ってくる。この雰囲気で、手のひらをくすぐってなぞって、指の股を撫でれば普通は気持ちがよくなってその先もしたくなるはずだ。初心なチェリーは気付いているだろうか。これだって前戯のひとつなんだぞ。とどめに拳にキスをして上目遣いで誘ってやれば陥落したのだろうか、何かを決心したような表情でチェリーが席を立ってこちらに歩み寄る。よしよしぱくりと食べてしまえ! レイフロは心の中でほくそ笑みながらも表面上は取り澄ませて見せる。


 チャーリーがテーブルを廻り込み、椅子に座ったままのレイフロの足元に跪く。
 まっすぐに見上げれば、慈愛に満ちたそれでいて曖昧な表情があった。脳内で言うべき言葉を確認して意を決するためにこくりと固唾を飲む。繋いだままのレイフロの手を両手で包むようにして一生に一度だけ使うことを許された言葉を。
「生涯をあなたと共に居させてください」



 たっぷりと1分は沈黙が落ちただろうか。二人とも視線を合わせたまま身動ぎもしないで時間が流れる。
「えぇと」
「はい」
 なんでそうなる? 唐突な言葉に、盛大にクエスチョンマークを頭に浮かべたレイフロの顔。チャーリーは大真面目に相槌を打つ。
「えぇと、…病める時も健やかなる時も?」
「はい」
「はは、プロポーズみたい」
「はい」
 まっすぐな視線を向けるチャーリーに対して、珍しくレイフロがうろたえたように視線を泳がせる。
「えぇと、どうしてここでプロポーズ?」
 チャーリーに本気で押されると引け腰になる癖は抜けきらないレイフロは、包まれた手をそっと引き抜こうとしながらどうやってこの危機を茶化そうかと頭をフル回転させるが、今度はチャーリーが逃れようとする手をやんわりと絡めて拘束する。どうしてこうなった?! そりゃレイフロだって本心はずっとずっと一緒に居たいに決まっている。でも過去が、これまでの経緯がフラッシュバックして約束(というかこれは神聖な誓いだ!)することを怖気付かせていた。
 一方、これまではそんなレイフロを傍観するしか術のなかったチャーリーだったが、今は違った。100年以上かけて、悩みに悩んでやっと自分の気持ちに向き合えたのだ。そして最強のヴァンパイアハンターであったのは伊達ではない。ここで逃げ腰の大切な人を逃してしまうほど腕は鈍ってはいなかった。「さっきまでうろたえていたかわいいチェリーはどこに行ったんだよ?!」とレイフロが振り切ろうとするが、開き直ってしまったものはしようがない。
「私に、抱かれたいのでしょう?」
「それがどうしてプロポーズなんだよ?!」
「私に婚前交渉をしろというのですか?」
「うわっ古くさッ」
「あなたに言われたくはないですよ」
 信仰は捨てられても、長年にわたって染み付いた思想は拭いきれるわけでもない。チャーリーにとって今まで純潔は守るべきものであったが、信仰対象が移った今となっては望まれて拒み続ける意味もない。であれば、誓いだけでも手の内に納めてしまいたいところだった。

「ご決断を。マスター?」
 さすがのレイフロをもってしても陥落まであとわずか。







【追記】
これをupした後に流鳥さんより話の続きを書いていただきました♪
可愛いマスターが見れますので→[Bat.ED]よりどうぞvvv


【後記】


 もっとギャグな流れにしたかったんだけど、あまりおもしろくなかったかなぁ(^_^;)。 そして後半が駈け足になってしまったのも残念。
 「エクリプス」(吸血鬼と女の子とのラブアクション映画? トワイライトの3部作の最後の作品)で主人公の男の子(吸血鬼で150歳くらい、見た目はティーンエイジャー)が、恋人の女の子に「したい」って迫られて、でも「婚前交渉は…するなら結婚しないと!」ってこだわる(なにしろ昔な人なものだから)シーンが面白くてですね。
 年もチェリーと近いし、この考え方は通じるものがあるかも! と滾った結果がこれです。
 チェリーにプロポーズさせるとか信じられない!! と憤慨される方もいるかもしれませんが、ほんの冗談と思って流していただければうれしいです。えへ。
 お互いに、押せば引かれて引けば追われてと押し問答しているチャーリーとレイフロが好きです。どっちも押されると逃げ腰になっちゃうタイプなんだよね。あぁ、じれったい!


2011.08